小説

『熱海の魔女』伊藤なむあひ(『ヘンゼルとグレーテル』)

 魔女だなんて言われていてもわたくしだって人間だし寂しいものは寂しいのです。お母さまが遺してくれた家のおかげで住むところにも食べるものには困らないし、服だって代々伝わる黒のワンピースと三角帽がフルサイズでそろってはいます。本当は白いニットとかだって着たいときもありますが「魔女としてのパブリックイメージを大事にしなさい。ときとして個よりも」というお母さまの言葉を思い出すことでどうにか我慢している現状です。熱海の森の中で。はい。お母さまのせいではないのですが、熱海に住む魔女というのはパブリックイメージとしてどうなのでしょう。そんなことを考えながらもわたくしはこうして誰も足を踏み入れないような熱海の森の中にある2DKのお菓子の家の中で、今日もあのふたりを待っているのです。
 あのふたり、つまりは『ヘンゼル』と『グレーテル』のことなのですが、わたくしはかれらを直接知るわけではなく、知っているのはGritterというSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)上での『ヘンゼル』と『グレーテル』というアカウント名と、本物かどうかも分からないプロフィール画像と文章。そして同SNS上でかれらが配信している短いメッセージのみです。もちろん、わたくしもかれらのメッセージを見ることができるようかれらをフォローしています。これをしておけばいつでも自分のタイムラインでかれらのメッセージを確認することができるのです。
 かれらも律儀にわたくしをフォローしてくれたのであまりうかつなことは書けませんが、そもそもわたくしが投稿するのはだいたい普段の生活のことや今日食べたごはんのことなので問題はありません。あとは森の中で出会った心打たれる風景やたまたま遭遇した動物たちの写真くらいです(最近は雪景色ばかりですが)。なのでかれらにわたくしが魔女だということは気付かれていないはずなのです。ただ、おかげで森の中にカメラ付きのノートパソコンを持っていくことがすっかり習慣になってしまいました。重いのに。
『ヘンゼル』は極度にデフォルメされたイラストをプロフィール画像にしており、どうやら社交性の高い人物らしく様々な女性(と思わしき方々)と冗談を交えながら親し気に会話しているのをよく見かけます。わたくしと直接会話したことはありませんがたまにわたくしの投稿した写真にも『ライク』(これが好きだなあというワンタッチの意思表示です)ボタンを押してくれます。わたくしもたまに『ヘンゼル』の投稿に『ライク』ボタンを押します。そんな、うっすらとしたつながりです。
『グレーテル』は鍵アカウントと云いその人が許可を出した相手でないとその投稿を見られない設定になっているのですが、不思議とわたくしからの申請には許可を出してくれました。彼女の投稿はいつも辛そうで、生きることについての不安、他者との関わりの不全、今後の人生への恐怖などの吐露がその大半を占めています。
 そもそも何故わたくしがこのふたりを待っているかというのは、少しだけ魔女の家に伝わる『ヘンゼル』と『グレーテル』の話をしないといけませんね。
 過去、様々な魔女たちが様々な『ヘンゼル』と『グレーテル』に出会ってきました。

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