小説

『夏は気球に乗って』義若ユウスケ(『春は馬車に乗って』)

いろんなところを旅したよ。
オスマン帝国にだって行ったことがある。
一八〇〇年当時の若い国王と僕は顔が瓜二つだったから、影武者として大活躍したもんだ。
敵国から火を噴くドラゴンを差向けられたこともある。
ドラゴンと素手で戦って勝ったのは僕の自慢話のひとつさ。

「ところで、瓜二つとはいうけれど、西瓜と南瓜じゃぜんぜん、似ても似つかないね」
「頬ずりしたいくらい可愛らしいわ、どちらも」
「ああ、そういえばどちらも、甘くて美味しいや」

ところで、東瓜と北瓜だったら、ちょっと似てないこともないかもね。
東瓜と北瓜? なにそれ、はじめてきいた。
東の瓜と北の瓜だよ。
どちらも皮が真っ黒で、手のひらサイズ。
サイコロみたいな形をしていて、中に蝶の卵が入ってるんだ。
東瓜の蝶の羽が白色で、北瓜の蝶の羽は灰色がかったブルー。
冬の終わりに、果肉を食い尽くした芋虫が自分の身体ごと黒皮をぬぎ捨てて、外に飛びだしていくその様子は、まるで、宇宙が破けて小さな星がフワリと、誕生したみたいで、すごく美しい。感動的だよ。
ふうん。ちょっと、見てみたいな。
蝶が育つような果肉はきっと、とっても甘いのでしょうね。
ところでモンテ・クリスト伯、南瓜や西瓜は野菜だったはずだけど。
細かいことは気にするなよ、お嬢さん。

その変わった瓜たちは、どこに行けば見られるの?
東瓜は東オーストリアだよ。
ウィーンのあたり。
いつだったか、僕がモーツァルトのピアノ調律師をやっていたころは、彼の東瓜畑によく招待されたものだ。
彼は毎年、畑のまん中にピアノを据えて、祝春の演奏会を開催していたんだ。
ヨーロッパじゅうから大勢の人が集まってきて、彼の演奏と白い蝶々にうっとりしていたよ。
モーツァルトのキラキラ星に合わせていっせいに誕生した白い蝶たちが、春の夕空に舞いあがっていくんだ。
まるで星たちが宇宙に帰っていくのを見ているようだった。
いまじゃ、遠いむかしの語り草。

北瓜の話もきかせて。

北瓜は北極だよ。
世界でいちばん寒いところになる瓜なんだ。
チルチルとミチルという旅人が、白夜に生まれた青い蝶を幸福の青い鳥と見まちがえたのは有名なはなし。
蝶だとわかって、さぞかし悲しんだでしょうね、ふたりは。
おおいに悲しんだとも。悲しくて悲しくて、ふたりが大泣きしたものだから、オーロラが哀れんで、彼らにヒントをあげたんだ。
オーロラが空で矢印マークになって、青い鳥の居場所を指さしてあげたから、ふたりは幸福に辿りつけたというわけさ。

青は幸福の色?
そうは思わない。
じゃあ、青は不幸の色?
青は悲しい海の色だ。
恋にやぶれた若者や人生につかれた老人がひっきりなしに悲しみを捨てにいくものだから、海はいつだって悲しいんだ。
じゃあ、幸せは何色をしているの?

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