小説

『雨よ、雨よ』高橋惠利子(『Historien om en Moder』)

「では、私の命と引き換えに、息子の命を助けてくださいまし」
 死神は奇妙なものを見るような目つきで、猫を見下ろした。
「枯れた花をどうやって生き返らせるのだ。またどうして花を交換できる?」
「それは」
「わしは当然のことをしているに過ぎない」
 背後にいる女が声を上げて号泣した。猫は首だけ振り返る。慰めの言葉すら思いつかない。
 だが猫はもう一度死神に縋った。
「ここに、そのサフランを」
 前脚で指し示したのは、死神が引き抜いたばかりのサフランであった。
「植えて水をあげれば根を張ります。今一度花を咲かせることだって可能でございましょう」
 女が声を上げた。本来在るべき目の場所は、黒くぽっかりと穴が空いている。彼女はそうしてまで息子を追いかけてきたというのに。
 死神は猫を凝視した。そして鼻をならす。
「匂いをかいでみろ」
 猫は最初なにを言われたのかわからずきょとんとしたが、死神の視線の先を見て心臓が高鳴った。猫の懇願を聞き入れてくれたのかと思ったのだ。だが、それにしては匂いをかいでみろとはいったいどういうことだろう。
 猫は恐る恐る花畑に脚を踏み入れ、命の花を踏まないように慎重に歩いた。
 種類や丈のまったく異なった花々が、まるで猫の身体に吸い付くように纏わりついた。
 花が引き抜かれた跡は、崩れかけた小さな穴が空いている。花の大きさに比べ、根はそれほど張らなかったようだ。もっと深く掘ってみよう、猫はサフランを埋めるため穴を大きくしようと思いついた。すれば今度はもっと根が広がっていくだろう。
 だが、胸に痛みを覚えたのは穴に前脚をかけたときだった。
 脚に虫でも当たったのだろう、猫は胸の痛みの原因を探ろうと鼻を近づけた。
「!」
 懐かしいにおいがした。
 猫は一歩後ずさり、その匂いはなんだったか思い出そうとした。乳のにおいだと気付くまで、そう時間はかからなかった。

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