小説

『五人の誰かさん』伊藤なむあひ(『三匹の子ブタ』『七匹の子ヤギ』)

 誰かさんはまだこれが現実だということが信じられなかった。他の少年達よりも頭の回転が遅い誰かさんは、まだあたまのどこかであれが自分のお母さんなのではないかと思っていた。誰かさんは食べられたのではなく、誰よりも早くお母さんに抱きしめられたのではないだろうか。そう思うと誰かさんは誰かさんに対して憎しみにも近い感情を覚えるのだった。誰かさんは大きな時計の中で耳元で鳴り続ける秒針の、ああうるさい! カッチカッチカッチカッチこんなに近くで鳴っていると何も考えられなくなる! お母さんになら食べられても良いじゃないか! カッチカッチカッチカッチ歯を鳴らしながら近づいてくるオオカミだかお母さんだかが時計の裏を開け歯車をクルクルと回す。他の歯車もつられてクルクルと回り、誰かさんの体をも巻き込んでいく。回転はどんどん速くなりやがてミキサーみたになったそれによって、誰かさんはミンチにされてしまう。オオカミは台所で玉ねぎを刻みフライパンを熱しているってな寸法さ。
 どれくらいの時間が経っただろうか。
 考えることに疲れた誰かさんがそっとリビングに立った。
 それを隙間から見ていた誰かさんも静かに隠れ場所を出た。
 リビングにいるのが二人になると、異変に気付いた誰かさんと誰かさんが固まった足をもつれさせながら飛び出してきた。
 そして最後に、警戒心の強い誰かさんがきょろきょろと辺りを見回しながらリビングに出てきた。僕たちは五人だった。
 僕たちは皆、一様に疲れ切った顔をしていた。髪は白くなり、頬はげっそりとこけ、目はギョロつき唇はへの字に曲がっていた。全員が顔を見合わせ、力なく笑った。子ブタにも見えるし子ヤギにも見える。なんならオオカミにだって見えないこともない。僕たち五人はそっくりな誰かさんになっていたのだ。
 僕たちはオオカミに食べられたくなかった。お母さんに会いたかった。レンガの家に住んでいればいつかまたドアがノックされると信じていた。だから僕たちは僕たちに紛れ込んだオオカミを警戒しながら、五人の僕たちとして生活を続けていた。生活はいたってシンプルだし、僕たちに不満なんてなかった。これはそんな昔話だ。むかしむかしからはじまらない、五人の誰かさんの話。

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