小説

『平和な時代に勇者はいらない』松みどり(『桃太郎』)

「お疲れ様です。初めてなのにとってもお上手でしたね」
 桃太郎は有頂天になった。巴さんと交際したい、いや結婚したいと舞い上がった。
 そして、その日のパラダイスジムには苦情が殺到した。
「リラックスヨガに巨漢がいて集中できない」
「リラックスヨガの巨漢が先生の前を陣取っていて先生が見えない」
「リラックスヨガで巨漢の鼻息がうるさい」
 それ以降、桃太郎は後列の隅っこでヨガをする事になった。だが、遠くても巴さんの姿を見るだけで桃太郎の気分は上がる。おばさんたちに「邪魔なデブ」など聞こえるように悪口を言われても堪えない。勇者なので本気を出せばそのメンタルは相当強化されるのだ。
 巴さん効果で桃太郎はジム通いが楽しくなった。痩せたら告白しようと決心した。巴さんとの新生活を迎える為に働こうと思い、お婆さんのクリーニング会社で配達と集荷のアルバイトを始めた。普段の生活の中でも出来るだけ筋力をつけたいので、車ではなく自転車にリヤカーをつけて担当エリアを周った。体重は順調に減っていった。桃太郎が痩せ始めるとジムのおばさんたちは桃太郎が勇者桃太郎である事に何となく気がつき始めた。SNS『ささや木』では桃太郎の目撃情報が盗撮写真や動画とともにあからさまにアップされ拡散した。
「#動ける巨漢#最近よく見る#ひょっとして桃太郎?#ジム」
「#巨漢ヨガ#ちょっと可愛い#もしかして桃太郎?#今日もジムでワークアウト」
「#巨漢の腕にぶら下がってみた#隠れイケメン?#っていうか桃太郎?#パラダイス」
 ジム受付の源さんはこの状況を憂慮し休憩スペース以外での携帯電話の利用を全面禁止した。しかし注意されてもおばさんたちは撮影を止めない。当の桃太郎本人もお爺さんに携帯電話を取り上げられ、ネットも禁止されているので、SNS『ささや木』で自分の写真や動画が流出し拡散しているのを知らないのだ。
 ネットで桃太郎が話題になった影響で桃太郎の家にはテレビ局や芸能事務所から電話がかかってくるようになった。家族は皆不在がちなので、電話はお婆さんの会社に転送される。取り次ぐのはお爺さんかお婆さんだ。
「桃太郎、『桐テレビ』からバラエティ番組出演の依頼があったぞ」
「ああ、どうせ『過去の英雄、勇者は今』的はやつでしょ。断っておいて」
「桃太郎、メンズ雑誌『ピーチ』からインタビューの依頼があったよ」
「何の雑誌?なんか一回インタビューとか言って、結局セールスみたいな電話が変な雑誌の記者からあったんだよね。無視しといて」

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