小説

『ブラックサイドカンパニー』小泉麦(『桃太郎』『金太郎』『浦島太郎』)

 鬼瓦は頭を机に打ちつける勢いで深々とお辞儀した。いや、実際打ちつけた。派手にガツンと音が鳴り、その衝撃で『勧善懲悪』の社訓は斜めに傾いた。

 
 鬼瓦に気圧され、桃田は渋々了承するかたちになった。とはいえ、桃田に現場での経験はない。金村に押しつけてしまおうかと画策したが、金村は「社長がやるべき仕事です」と静かに微笑むのみだった。
 まあどうせ潰れかけの会社だ。鬼瓦も父親の友人だし、自分のやることにそこまで目くじらを立てたりしまい。桃田はそう楽観視して、ブラックサイドカンパニー内を適当に視察することにした。
 しかし桃田はいきなり洗礼を受けた。女性の職場と謳う部署を下心丸出しで訪問するやいなや、早乙女に激しく叱責された。
「そこ邪魔! ほらそんなちんちくりんにかまってないで、皆集中! 電話はワンコールで出なさい! 交渉で足元見られてんじゃないわよ! お得意の竜宮さんにフォロー入れた?」
 早乙女の指示は千本ノックのようにあちこちを飛びかった。邪魔者扱いをされた桃田は隅っこに避難し、その様子を見守る。この鬼軍曹が叫びちらす戦場こそが、諸悪の根源なのではないかと桃田はにらみを利かせた。だが、次から次へと反応する社員たちは「はい!」「了解です!」「今から連絡します!」と早乙女に負けず劣らず大声を張りあげている。そしてその表情は皆、生き生きとしていたのだ。
 少し観察しただけで、その理由がわかった。早乙女の指示は的確で簡潔で人情的でもあった。顧客への配慮だけではなく、社員一人一人の状況を素早く判断して、無理のないよう仕事をうまく回している。部署内の信頼関係なくして、この効率のよさは生まれない。少々恐ろしい印象を与えるのは、あくまでも早乙女の異常な声量に起因している。
 桃田はすごすごと別の部署へ向かった。先ほどとは打って変わって、爺婆部署にはとても穏やかな時間が流れている。この緊張感のなさ、やる気のなさが悪なのではないか。目を光らせる桃田に、会長をも兼務する爺さんが飄々と話しかけてくる。
「おやおや桃田さん。どうぞおかけになってくださいな。今、お茶淹れますからねえ。婆さん! 婆さん!」
 室内を徘徊(という表現がしっくりきてしまう)する婆さんが「え?」と聞きかえす。爺さんは「お茶! お茶!」と叫ぶが、婆さんは「ああ、うん。花咲村の皆さんもお礼状くださったわあ」とてんで的外れな回答をしている。爺さんは「おお。そりゃあうれしい。返事書くわい」と桃田の存在を忘れ、婆さんのペースに巻きこまれている。
 ここも違う、と桃田は判断した。爺さん婆さんはむしろ丁寧な仕事ぶりをして、着実に顧客の要望に応えている。やる気なく見えるのは、単純に動作の一つ一つが遅いだけだ。それも早乙女の部署を見た直後だと、その落差でより緩慢に映ってしまう。瞬発力のなさが最初は受けいれられないかもしれないが、長い付き合いになればなるほど、一番強い絆を築ける部署だろう。

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