小説

『亀裂』伊佐助(『浦島太郎』)

 人影が少しずつしっかりした形になり、2人の顔を認識出来るまでになると幹男は半目状態で眉間にシワを寄せながら不思議そうな顔をした。そこにあるのは桜子と奈美の顔だったからだ。「サコちゃん…」幹男がそう言うと女性たちは互いの顔を見ながら口を合わせて「サコちゃん?」と言ってキョトンとした表情を見せた。彼は体を徐々に起き上がらせると2人の外見が変な事に気付く。彼女たちは昔話の天女が纏う羽衣を着ていたのだ。「サコちゃん、奈美ちゃん、何でそんな服を着ているの?しかもここは一体…」辺りを見回すとそこは奇妙な場所であった。六角形の部屋で石のような物で出来た壁。朱色の扉がある一辺を除いたすべての壁に龍の彫刻が施されている。そして火が灯された長太い蝋燭が壁と壁との間に均等に配置されており、天井には一体の大きな龍とその周りを複数の羽衣姿の女たちが戯れている様子が色鮮やかに描かれていた。
「す、凄い…」
「あの、とりあえず履きましょうか」奈美と思われる女性が彼に近づいてふんどしを差し出した。部屋の作りに感動し、すっかり全裸だった事を忘れていた幹男。慌ててふんどしを手に取ると急いでそれを履いた。
「サコちゃん、奈美ちゃん、こんなところで何をしているの?」幹男は彼女たちに尋ねると、再び奈美と思われる女性がこう言った。
「あなたの言っている事が分かりませんが、それは恐らく人間の使う“名前”というものですね。もしそうだとすればそれは違います。私たちに名前などありません。私は龍女様の使いです。」老人が言っていた事は嘘ではなかったようだ。だとすれば、ここが伝説の都市?
「老人?筋太郎(すじたろう)さんの事ですね。彼のふんどしですぐに分かります」
えっ?心が読めるの?
「すみません、僕は海の中で気を失った気がするのですが、どうやって助かったのでしょう」
 桜子の顔をした女性が一歩前に出てこう言った。「筋太郎さんのふんどしを付けた者がこちらに向かう途中で溺れていたので、私の力でふんどしを操ってここまで誘導させたのです」
「あなたは?」
「私はこの都市を守る龍女です」
「あなたが伝説の龍女様…。初めまして。僕の名前は幹男です」「幹男さん、あなたが来た目的は分かっています」
「そ、そうなんですね。ちなみにその、筋太郎さんをご存知なのですか?」
「もちろんです。人間がここに来るのはとても珍しい事ですから。彼は幼い頃にあなたと同じ願いを抱いてやってきました」
 なるほど、老人の少年話は彼の昔話だったのか。龍女は続けてこう言う。
「私たちは心を読む以外にも人間の願いを叶えたり、未来を予言する力があります。筋太郎さんの子孫が同じ願いを抱いていつか来る事を幼かった彼に伝えました。彼は子孫の願いもどうか聞いてほしいと言いました。そして今日、その日が来たのです」

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