小説

『女神の湯』西橋京佑(『金の斧』)

 女神はようやくか、と言わんばかりにため息を吐きながら振り向いた。
「なに?」
「本当になんでもいいんですよね?」
「当たり前じゃん、誰だと思ってんのよ」
「それじゃ、悩み!悩みを取り除いてください!」
 女神は驚いたように目を大きく見開いた。
「ダメですか…胃が弱いとか、女性とうまく喋れないとか、そういうのなんですけど?」
「いえ…いいんだけど…」
 もしかして、ほんとにバカなのかな…と呟きながら、女神は掌を上に向けて両手を胸の辺りにあげた。
「それじゃ、ファイナルジャッジね。あーいい、いい。どうせ聞いても答えは分かってるけど、形式的にやるだけ。右手があなたが望む世界。左手は元の世界。右手を選んだら、あなたは…はいはい、わかった」
 小籔太郎は右手を握っていた。
「あんたなんかね、ほんとに嫌い」
 そう言いながらも、女神は目を瞑ってブツブツと何かを唱え始めた。日本語とも英語とも違う、でも聞き覚えのある言葉だった。
 キンキンという音が聞こえてきて、それが自分の中から発している音だと気がついたときには前がぼんやりと見えなくなっていた。小籔太郎は目を開けていようと頑張っていたが、そのまま音が遠くなって目の前が真っ暗になった。
 小籔太郎はそのままフワッと宙に浮かんで、ゆらゆらと暗闇の中に消えていく。そのまま見えなくなるまで、女神は怒りのような諦めのような、半笑いの表情でそれを見ていた。

「何回きたら気が済むんだろ」
 女神は大げさにため息をついた。
「そりゃ、何回だってくるさ」
 びくっとして女神は振り返る。
「びっくりした、お父さんか」
 ヒゲをたっぷり蓄えて、神官のような帽子を被った初老の男がにこやかに立っていた。
「でもさ、もう数えるのがバカみたい。少なくとも8回は、今週だけで来てるもの」
「それでいて、毎回おんなじ願い事ばかりって?」

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