小説

『邪眼』末永政和(太宰治『燈籠』)

「永野さんは、立派な方です。きっと偉くなるお方なのです。しかし今はまだ、時期ではありません。目立つことをしてはならないのです。あの方は上品な方だ。高貴な方だ。他の人とは違うのです。私はどうなってもいい。力を分け与えてもらったけれど、それはあくまでもあの方を守るための力。嗚呼、パラソルを盗んだからといってそれが一体何だというのです。パラソル一本で世界が救われるかもしれないのです、安いものではありませんか。あの方を危険にさらしてはいけない。あの方を守る日傘が必要なのです。あの方のためなら私は死をも厭わない。嗚呼、ついにこの邪眼を解放するときが来たのだ! できればもうしばらく力を溜め込んでおきたかったが仕方あるまい。我が闇の力、存分に味わうが良い。くらえ、ナーゼンシュライム! 風よ巻き起これ!」
 しかし何も起こりはしませんでした。これも永野さんの賢しい計らいだったのだと思います。私が暴走して力を多用せぬように、鍵をかけていたのでしょう。
 おまわりさんは、蒼い顔をして私をじっと見ていました。力は行使できなくとも、恐怖を与えることはできたのです。おまわりさんは、はれものにさわるように私を警察署に連れて行きました。一晩留置場にとどめ置かれて、翌朝父が迎えに来てくれました。なぐられやしなかったかと言うだけで、父は他に何も言ってはくれませんでした。私がもはや、ただの娘ではないことに気づいたのでしょう。父も母も、弱い人です。私はこれまで大事に育ててもらいながら、ついに親不孝をしたのでした。
 一刻も早く、永野さんに会いたかった。一晩で私の力がより強大になったことを、死線をくぐり抜けて私の魂がより強靭になったことを知ってほしかった。しかし私は、二度と永野さんに出会うことはありませんでした。病院に行っても永野さんはいなかった。街中探し歩いたけれど、永野さんは見つからなかった。私の邪眼は見るべきものをなくして、ただただ情けなく涙を浮かべるばかりでした。

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