小説

『砂塵のまどろみ』化野生姜(『眠い町』『砂男』)

「そうそう、期限が近かった本は返してくれた?母さんの職場は反対方向だし、こういうときにあなたがいてくれると助かるわ。」

…そういえば、図書館の本を返すようにと言ったのは母であったか…。

私は、切られた大根の葉と根をざるに入れつつも、いつしか図書館の出来事を思い出し、頭が再びきりきりと傷みだすのを感じた。
それと同時に、次第に胸も苦しくなっていく。

…我慢しなければ。早く、この場を離れれば…きっと…。

「…そろそろ御飯できそうだし、おばあちゃんを呼んで来るね。」

私はしぼりだすような声を出して母に許しをもらうと、別棟にいる祖母を呼ぶために台所をあとにした…。

…薄明かりの灯る離れの部屋にいくと、ベッドに横たわった祖母がいた。
彼女は着けっぱなしのテレビを見ながら、どこかぼんやりと画面に視線を這わせていたが、私が夕飯だと声をかけると少女のように顔をほころばせ、いつものようにこう言った。

「あら、おやつの時間なの。じゃあ、起こしてくれないかしら。腰が痛いから持ち上げるのを手伝ってね。」

そうして、しわだらけの手を伸ばしてくる。
私は手を取ると、彼女の背中に手を回して身体を起こす手伝いをした。

…齢八十を越した祖母の体は重く、上半身を起こすのにも一苦労だった。
本来なら彼女の足腰は正常で、自分の意志さえあれば起きる事も可能なのだが、痴呆がはじまると同時に足を悪くしたと主張をし始め、そのことに気づかない私達はかいがいしく世話を焼いた。そのせいか今では人を使って起きるほうが便利だと思うようになり、誰かが近くにいると決まって自分を起こすようにとせがむようになっていた…。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15