小説

『冷蔵庫の中の女』洗い熊Q(『雪女』)

「おーい、引き返すんだー!」
 僕は逃げ出した男を追って外に飛び出していた。
 捕らえるとは考えていない、この天候で逃げようなんて自殺行為だからだ。
 そう考えた通り吹雪は酷さを増していた。暴風の空を切り裂く音より、耳元にばつばつと当て張り付く雪の音。それが呼吸の音さえかき消す。
 冷たく目を開くのを邪魔する吹雪の先に、かなり離れてしまった男の影が薄らと見えていた。
 はっきりとは聞こえない、だが人の叫び声らしきものだとは分かる。男は狂乱してわーわーと叫び、脚が雪に埋もれながら逃げてるようだ。
「戻るんだー! 危険だぞー!」
 幾ら叫んでも聞こえてない。それが分かっていても追わずにはいられない。
 一度止まり目を凝らして彼の姿を追えば、僕は小高い所から彼を見下ろす場所にいる事に気づいた。
 もう一度、男に向かって精一杯に叫ぼうとした。
 ――だが立ち止まった事で、僕は別の音に気づく。
 響かない世界の中に、轟々とした空気を震わす音を身体に感じていた。
 迫り来る感じ。この音には数回か遭遇した経験があった。雪崩だ。
「おいっ! 逃げるんだー!」
 必死に男に向かって叫んでいた。だがもうその瞬間には遅かったんだ。
 薄らと見下ろし見えていた男の影は、大きな壁のような白い雪煙の中に消えていた。

 
 僕は白く大きな吐き、息切れ寸前ながらストックを必死に漕いでいた。
 叔父や警察に連絡し、来た人に説明もままらない内に外へと飛び出していた。車での移動は出来ずスキーで向かう。
 向かうその先。三本杉の辺りだ。
 確信がある訳でもない、ただ確かめたかった。昨晩に彼女が言っていた事を。
 空は白みを過ぎて赤みも消えかかり青空む。陽はまだ見えない、澄み切っていた。
 立ち止まりそうになりながら顔を前へと上げると、雪に埋もれた三本杉の頭が見えた。
 板やストックを放り投げるように捨てると、半ば転がり落ちて、杉の袂まで這うように近づく。
 杉の下。吹き溜まりに雪がこんもりと積もる。その中に薄緑の物が見えたのだ。
 慌てて僕は雪を掻き出し始めた。ふわりと積もった新雪は苦もなく落とせた。

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