小説

『吾が輩は神ではない』洗い熊Q(『吾輩は猫である』)

 伝わらないだけで吾が輩は相当語っている。内容は世間の悪口雑言。今更に語るには口を慎みたい。

 そして旦那の伴侶、幸恵だ。
 幸恵は旦那の学友。幼なじみと言っても差し支えない。
 お下げしても似合う年頃からの幸恵を知っているが、旦那以上に大人しい。慎ましい性格。
 だが唯々諾々かと思いきや、意外にも芯を通す処もある。
 それが証に旦那とはほぼ駆け落ち状態で家を出ている。
 何故にその様な事態になったかは知る由もない(いや知る事はたわいないが、人の恋路に興味がない)。
 しかし当時は吾が輩も被害を被った。その逃避行に付き合わされたからだ。
 何故に!? と驚く、大事な友を置物の様に抱えながら家を飛び出して行く旦那。更に驚かされたのは行く先に待つ幸恵がこの逃避行を言い出したらしい事。
 人とはわからない。
 いや、幸恵が旦那の伴侶となる事は知っていた。だがその過程には興味はない。まあ、抱えられた際、慎ましいながら幸福な夫婦生活が予知できたから、これはこれで良いか、そう納得していたが。
 その後は双方の家族共に二人の仲を認め合い、しめやかに結婚の儀を終える。
 ひとつ腑に落ちない事が。
 連れ出された吾が輩の居所が、誰の咎めなく旦那の下と言う事か。
 まあ、気を留める程ではないか。正直に、旦那も幸恵も好きだからだ。

 
 さて、ようやくと吾が輩の話。
 ここまで語ってわからない人間などいないだろう。吾が輩の力、そう予知能力である。
 語りの中、何故にその事を予知しないのか、と疑問に感じる行があったと思う。
 予知と言うても察知ではない。吾が輩が興味を、伺い知るという事をしなければ見えない。
 今、幸恵が吾が輩の頭上に猫缶を落ちないよう重ねてきたが(幸恵は無意味な行いを思いついたようにしてくる)、この様な行為などは吾が輩が予知できない。
 選択肢のある結果、勝負事など。サッカーの試合などは予知するに容易いなのである。
 他に例えを述べるなら。今、目の前で、吾が輩の頭に猫缶を載せた姿を見てにやつく幸恵を見れば。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10