小説

『ヤドリバチ』末永政和(『芋虫』江戸川乱歩、『変身』カフカ)

 それなのに、次の土曜に茜がやってきた時、心底安堵した。彼女のおかげで、目覚めることができたのだ。時計を見ると夕方の六時をまわっていた。
「こんな時間まで寝てたの……?」
 何か言わなければと思うのに、口が動かない。目は覚めているのに、体がうまく動かせないのだった。
「鷹野さんから聞いたよ、体調崩してるって」
 そう言って、茜は進の横に体を滑り込ませた。脇の下に手を差し入れて、ぎゅっと抱き締めてくる。体が弛緩したように、力が抜けていった。よく見れば、目の下にあざがある。ひどいことをしてしまったと思った。
 鷹野は会社の後輩で、茜とも面識があった。何度か飲みの席で一緒になったことがあり、歳の近い女性同士で意気投合したらしく、頻繁に連絡を取っているらしかった。
「どうして私には何も言ってくれないの」
 詰問ではなく、悲しみをぶつけるような言い方だった。その憐れむような視線が、心底腹立たしかった。こいつは俺のことを嘲笑いにきているのだ。自分よりも下等な人間を見て、優越感に浸っているのだ。
 気がついたときには、ベッドに横たわってすすり泣く茜が隣にいた。枕カバーに血が飛び散っていた。何かしら謝罪の言葉を口にしたような気がするが、自分でもよくわからない。がんばろうね、と茜が言っていた。どうしてこんな目にあってまで、そんなことを言えるのか分らなかった。
 付き合い始めたばかりのころ、お互いの夢について語ったことがあった。進はいつか独立して、自分の会社を持ちたいと語った。茜はそれにうなずきながら、「あなたの夢がかなうことが、私にとっての夢なの」と言った。
 そのときは可愛いことを言うものだくらいにしか思わなかったが、要するに茜は将来に何の夢も目標も持たず、漫然と生きているのだった。安い給料でこき使われても文句一つ言わず、毎月少しずつ通帳の残高が増えていくのを楽しみにしている。目を引くほど美しいわけでもなく、気だての良さだけが取り柄のつまらない女だった。彼女の凡庸さに苛立つことが今まで何度もあった。
 涙をぬぐいながら、「そんな会社やめた方がいいよ」と茜は言った。すぐに再就職しなくたっていい、お金のことなら心配しなくていい。こう見えて私、けっこうお金持ってるんだから。そんな他愛のない言葉が進の自尊心を傷つけるのに、そのせいでひどい目にあっているのに、茜はうわごとのように繰り返した。

 それからも、起き上がれない日々が続いた。日を追うごとに、症状はひどくなっていくようだった。ようやく仕事が落ち着いてきたこともあって有給休暇をとったが、何もせずにベッドに横たわるだけで一日が終わった。手も足も動かせない。いよいよ芋虫と変わらなくなってきたと、自虐的に思った。
 土日には茜が懲りずに泊まりにくる。そのたびに暴力を振るい、傷つき果てた茜を組み敷いて、情欲に耽った。どうせこいつもこれを求めて来ているのだと思えば、さほど心も痛まなかった。

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