小説

『ビーフジャーキーと猫』広都悠里(『七匹の子ヤギ』)

 あたしはベッドからとびおりてすばやく身支度をする。
「行くよ」
 隼人の声にちらりと鏡を見て自分の姿をチェックする。明るい、オレンジ色に近い毛色の茶色の猫が映る。
「にゃあ」
 返事をして走り出る。
「チェリー、俺が帰るまでいつもどこで何をしているの?」
「にゃーん」
 別に何も。ただひとりで部屋に残されるのが嫌いなだけ。
「今日のバイト、夜の九時ごろには終わるかな。なあ、チェリー」
 呼びかける隼人の手をすり抜けてあたしは走り出す。見送るのは嫌い。約束も嫌い。
「チェリー」
 あたしの本当の名前は相田智恵理。だけど猫になった今、その名前で呼ばれることはない。

 いいことなんて何もなかったあたしの願いを、神様はたったひとつだけかなえてくれた。
 猫になりたい。
 テレビで見た猫たちはそこにいるだというただそれけで、頭を撫でたり、だっこされたり、話しかけられたりしてかわいがられていた。
 なんてうらやましい!
 そこにいるだけで、愛してもらえるなんて。
 時々、差し伸べられる手からするりと抜けて好きな場所へ行ってしまう猫の自由さと贅沢さにぽかんと見とれていた。
 あたしはいるだけで邪魔、と言われるのに。
「かわいい」
「あー、行かないで」
「こっちにおいで」
 言われたことのないうらやましい言葉をどうでもいいよというように、長い尻尾をゆったり振って知らんふりをしている猫。

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