小説

『パノプティコン』末永政和(『シャロットの姫』テニスン)

 街々は荒れ果てて、かつて睡蓮を浮かべていた水辺は汚泥のたまりと化していた。川は澱み、街路に並び立っていた柳やポプラも無惨に朽ちていた。キャメロットの城だけが荒廃とは無縁に、かつての威容をとどめていた。
 ある日この島に、一隻の船が流れ着いた。外界から彷徨い込んで来たこの船には、一人の騎士が乗っていた。嵐に遭い、流行り病に脅かされ、長い航海で生き延びたのは彼一人、そして彼の愛馬だけであった。
 彼が浜辺に降り立ったとき、出迎える者は誰もいなかった。危害を加える者もいなかった。暴力の連鎖はとうに収まり、今は怠惰と無関心が街を覆っていたのである。
 騎士の姿は、シャロットの鏡にも映し出されていた。真鍮の脛当ては太陽の光をうつし、きらびやかに燃えていた。盾には一人の騎士が赤い十字架を首に架け、貴婦人にひざまずく姿が刻まれていた。鏡は確かに映し出していた。その騎士もまた、盾の模様と同じように赤い十字架を身につけていたのである。
 長い航海の疲れなど、微塵も感じられなかった。馬上にまたがった騎士の背は凛として折れることなく、その澄んだ瞳は真っ直ぐにキャメロット城を見つめていた。兜の下からは艶めいた黒髪が流れていた。馬が歩むたびに鎧は気高い金属音を鳴らし、鞍に散りばめられた宝石と響き合うようだった。
 騎士はこの地の誰よりも聡明で、美しく思われた。この地を覆う邪悪などとは一切無縁の、揺るぎない誇りだけがその胸にあった。
 自分の呪いを解いてくれるのは、この騎士に違いないとシャロットは思ったのだ。彼女はもはや、平穏にも暴力にも飽いていた。この地のすべてを憎んでいた。外界からの使者に心を動かされたのは、至極当然のことだった。
 騎士は歩みを止めることなく、キャメロット城を目指している。しかし城に着いたところで、彼はシャロットの存在に気づくだろうか。今まで数えきれぬほどの人々がしたように、扉を開けようと試みるだけで、彼もまた踵を返してしまうのではないだろうか。
 シャロットに迷いはなかった。彼女は立ち上がり、機から離れた。彼女の目には、窓の向こうの青空がうつった。泥沼に咲く睡蓮がうつった。はるか遠くに光を弾く兜が、風に揺れる黒髪がうつった。そうして自身の存在を知らしめるべく声を上げようとしたそのとき、彼女の背後で鏡に大きな亀裂が入ったのである。織物は引き裂かれ、織糸は縦横に絡まった。不実をとがめるように、シャロットの体を縛り付けた。色とりどりの織糸が躍る様は、まるで火花のようだった。尖塔の一室は嵐のように、激しい響きをあげていた。
 それでもシャロットは屈しなかった。彼女はそれまで開かずにいた部屋の扉をこじ開け、螺旋階段を駆け下りた。呪いの織糸も、もう追ってはこなかった。

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