小説

『ごめんなさいね』吉倉妙(『マッチ売りの少女』)

「こんな熊さんみたいに大きな手なのにねぇ」
「ほんとう、大きな手ですね」
 ただ大きいというだけでなく、手の甲がこんもり盛り上がった厚みのある手。
 この大きな手で細かな作業をしている姿を想像したら、思わず笑みがこぼれました。
「好きな食べ物はなんですか?」という私のどうでもいい質問にも、ずいぶん考えてから、「唐揚げ……ですかね」とボソリ。
 今まで私が付き合ってきた男性とは、見た目も雰囲気も全く正反対な篤志さんでしたが、不思議と安心感を覚えたのでした。

 それから、初めて二人で旅行に行った時のこと。
 畳の部屋で二人、仲居さんが淹れてくれたお茶で一息ついていると、静けさを消すためにつけたテレビから、幼児が犠牲となった事件のニュースが流れてきました。
(このタイミングで、このニュースだなんて……)
 幸せになるにはまだ早いという警告のように思えて、胸の鼓動が早まりました。
 すると、彼は、あの厚みのある大きな右手でリモコンを取り、別の番組にチャンネルを変えると、そのままゴロンと横になったのでした。
 私もゴロンと横になってみました。
 そして、二人して黙ったまま天井を見ていると、懐かしいアニメのオープニング曲が聞こえてきました。
「この時間帯に再放送しているんだね」
 言ってみただけの私に、楽しげな彼の目配せ。
 彼にしてみたら、チャンネルを変えたのも、ゴロンと横になるのにニュースはちょっと重すぎる……ぐらいの感覚だったと思うのですが、私にとってこの出来事は、結婚を決める大きなきっかけとなりました。
(この人といれば大丈夫。今みたいに、あ、うんの偶然で、間の悪さを避けてくれる)
 ――そう思えたのでした。

 そして、私は二人の子の母となりました。
 第一子である長女の時は、2ヶ月目の検診日には、あの時の赤ちゃんと同じ時期になったのだと思い、夏の暑い盛りの添い寝では、添い寝されることのなかった赤ちゃんのことが頭から離れず、火が付いたように泣き止まないときは、あの赤ちゃんを代弁して泣いているかのような錯覚に陥ったりもしましたが、長男の時は、2歳と新生児、二人の世話に明け暮れて、そのような記憶の蒸し返しはあまり起こりませんでした。

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