小説

『8月の部屋』日根野通(『2月の部屋』)

「こんな場所があったのか・・・。」
 街燈というほどのものはなく、道に立つのは灯籠、家屋の軒下には提灯が飾られ、町を色づけている。灯籠の灯りは不思議だ。懐かしく、幻想的で思考を鈍くさせる。
 蓼科は行き交う人々に「繊月堂」の所在を尋ねる。人々に導かれ、赤い灯籠を下げた店にたどり着いた。元は遊郭だったのか、格子張りの出部屋が入口の横にある。遊女の代わりに美しい色彩に彩られた瓶がいくつか飾られていた。ゆらゆら揺れる灯りがガラスの色をあぶり、儚げな影が夢のように舞う。
 「すみません。」
 引き戸を引くと薄暗い部屋の中から何かが香った。過去に嗅いだことのある花のような何か。
 「はーい、どうぞお入りくださいな。」
 奥から甘ったるい声が聞こえる。
 蓼科は恐る恐る店内に足を踏み入れる。
 店内には珍しいガラス細工の瓶が飾られていた。木工細工に彩られた豪奢な台に繊細な瓶達が競うかのようにその美しさを誇っている。その向こう、帳場に女が座っていた。こちらから見える横顔だけでもかなりの美人だという事が分かる。きっと絵ハガキの差出人に違いない、と思った。
 そろそろと近づく蓼科の気配に女は顔をあげ、こちらを見る。
「いらっしゃい。」
 正面から見た女の顔はやはり美しかった。
 白い肌に、綺麗に通った小ぶりな鼻。形のよい唇は赤い紅に染められ、大きな目が辺りの灯りを映し、橙に輝いていて、匂い立つような色気がある。
「何をお探しで?お兄さん、見たところこの辺の人じゃあないみたいだけど。」
「あ、あの実は人探しできたのですが・・・。衣笠修平という男がここにきませんでしたか。先月の終り頃だったと思うのですが・・・。」
 女は衣笠という名を聞くと二コリと笑った。
「ええ、いらっしゃいましたよ。衣笠さんはここ半年くらいよくいらしてくださるのよ。先月・・・、そうね、確かにいらっしゃったわ。」
「本当ですか!その時の様子だとか、その後にどこに行くだとか、何か言っていませんでしたか。」
 蓼科は期待通りに衣笠の形跡が見つかり、喜んだ。

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