小説

『まったくなにやってんだ』広瀬厚氏(『浦島太郎』)

「いらっしゃい。あら、珍しいひとが来たね。ずいぶん久しぶりだけど、ずっとどうしてたんだい?」
カウンターを前に席についた俺にマスターが言った。
「ええ、まあちょっと・・・」と、俺は曖昧に濁した。
「何にする?」
「マイヤーズをロックで」
 俺が出てきたマイヤーズをちびちびやりながら、何から相談しようか考えていると、マスターのほうから「そう言えば」と、先に口をきった。
「前に圭一君がいたバンド、デビューしたね」
「えっ!」と、驚いて俺は返した。
「圭一君抜けた後、誰だっけベースの?」
「ん、森?」
「そうそう、その森君がベース弾きながら歌うようになってさ、ずいぶんと頑張ったみたいだね。曲もそれまでと一新してライブやり始めたら、それまで以上に人気が出て、そこからはトントン拍子にデビューだって雑誌で読んだよ。今じゃ凄い人気だもんね」
 呆然と話を聞いている俺にマスターは、
「あれっ、圭一君ひょっとしてまったく知らなかったの?」と、続けて問うた。
 俺は、ただ黙ってうなずいた。知らぬ間にバンドがそんなことになっていようとは、まったく夢にも思わなかった。なんだか浦島太郎な気分だ。だいたい昔から世間で起きていることに対して無頓着で生きて来た。自分はこれから音楽で身を立てていこうとしているのに、音楽関連の情報にもほとんど興味がなかった。自分、自分、自分、とほぼ自分しか見ていなかった。俺はコップに残るマイヤーズラムを一気に喉に流し込み、
「まったくなにやってんだ」と、方寸につぶやいた。
 俺はそれからマスターに止められるほどに、琥珀色やら透明の強い酒を、次から次へとあおった。ぐでんぐでんになって店を出た。ミウが身を投げようとした橋に来た。欄干から川面を見下ろした。今度は自分が川に飛び込んでやりたくなった。誰も止めちゃくれやしないだろう。

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