小説

『空の王様』阿久沢牟礼(『裸の王様』)

「おれには見えるぞ、王よ!」
 なし崩し的な熱狂のなかで、誰かが叫んだ。これに呼応するように、中庭に集まった聴衆からは様々な叫びが発生した。
「われらが選んだ王よ」
「王よ、民衆をお導きください」
「期待してるぞ、王よ」
「一年間よろしくたのむぞ、王よ」
 その声援が象徴的な意味だったのか、それとも具体的な意味だったのかはわからない。「おれには王なんて見えないぞ」と、誰かが言ったのかもしれないが、圧倒的な声援の前に、そうした声はみなかき消された。当初の思いがどうであれ、個々の思いがどうであれ、それは現国王となる一人の人間への肯定のしるしとして、もはや引き下がれないものとなった。
「空(から)の王」とは、こうして誕生した。
 その夜。街のはずれの酒場をお忍びで訪れたゼッツァーとルシャイトは、各々選挙の二位と三位を、すなわち右大臣就任と左大臣就任をお互い祝うとともに、今後の壮大なる計画についての話し合いを始めた。
「それにしても、仕込みの者たちはうまくやってくれたな。やはり君の言った通り、拍手は拍手を、熱狂は熱狂を、そして言葉は言葉を誘発する。ひとたび火が付けばもう、簡単には収まらない」
「いささかうまくいきすぎたような気もします。実際、計画以上のありさまでしたよ。もしかしたら、わたしは何か、大変なことをしてしまったのかもしれない」
「君は相変わらず、心配性だな」太い牛のソーセージに食らいつきながら、ゼッツァーは言う。「結構なことじゃないか。これで実質、玉座は空っぽ。おれたちは、王の託宣だとでも言って、自分たちのやりたいようにできる。実質的には、実権を握ることができたも同然なんだ。おまけに、責任は取らなくてもよいと来た。これほどまでに心躍る状況が、あったかね? ルシャイト元国王よ」
「ええ、それはもちろん。怖いくらいの状況ですよ。しかし、そう簡単にいくとも思えない」陶製のジョッキからつつましやかにビールを一口すすって、ルシャイトは続ける。「当初わたしは、白票を投じた国民への戒めとして、選管側がわざとこのような結果を国民へ突き付けたのだと思いました。そこへ乗じてのこの計画はわたし自身、半ば冗談のような心持ちだった。だから、この計画は選管側に阻止されるものと思っていました。いや違う。そもそも民衆が、こうもたやすく丸めこまれるとは……」

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