小説

『T-box』吉田大介(『浦島太郎』)

 もあもあもあ。割れた南蛮男の顔から煙が立ちこめる。血は出ていない。代わりにメタリックの粒々が無数に出てきて蛍のような真っ白い光を放つ。ああ、太郎の右拳が刺さっているのは紙風船をつぶしたようなしわくちゃの顔だ。瞬間、相手のうめきも観客の声もすーっと消えた。

 その突き出した右手で、知らないうちに名刺を差し出している太郎。仰向けだったはずの身体は90度垂直になって、両足はきちんと床の上に、しかと揃っており、あーっと何だ今度は、黒くテカった真面目な靴をはいている自分!突き出した名刺の先にはニコリと笑う50歳くらいの翁。「こういう者です」とかそいつが言っている。首から何か布をぶら下げている。「ネクタイ」、「スーツ」という聞いたことのない単語が太郎の脳裏に走り、「ああ、ビジネスシーンに立たされているんだ」と、これまた今まで自分が使ったことのない言葉が頭を巡り、それでも状況を理解できちゃっている和銅八年(西暦715年)生まれの自分。あれ、自分も赤いネクタイをしているではないか。さっきの南蛮男の吐いた血だろうか。ともかく慌てて左手も添え、自分の持っている名刺の文字を瞬時に読み、
「わたくし、砂浜商事の浦嶋です」
と、相手の名刺よりも一段下の位置でそれを渡した。
「ほほぉ、ウラシマ太郎さんですか。素敵なお名前ですなあ」
「いえ、ウラジマ、と濁ります」
 なんとなく次へ進みたくなく、適当なことを言ってみた。
「ま、どうぞ、こちらへ。おーいユリ田くん、お茶二つ!」
 茶革のソファに案内された太郎、五十の翁は部長の川崎という者らしい。
何かしゃべらなきゃいけないと思い、でもなぜ自分が、何のためにここにいるのかわからない。だけど、こういう場面では黙っていてはいかんだろうと太郎、
「このたびの海岸掘削事業に関しましては、資料をお持ちしていまして・・・」
 おーっと、これは自分で何を口走っているのかっ!資料って何だあ!太郎は焦る。手、手ぶらじゃねえか。いや、何かカバン持ってきてるぞ俺!やった。ああ、しかし憐れ太郎、さっきまでズタボロの服で砂浜にたたずんでいたはずで、この恐らく十数分の出来事がチンプン・ザ・カプーンでわからない。
 ユリ田と呼ばれた若い女性がお茶を入れてくれた。
「じゃあ、さっそくご説明いただいて、本日中にゴーサイン出したいんで」

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