小説

『末裔』広瀬厚氏(『雪女』)

 暑さもずいぶんと和らいだ頃、なんとか仕事が見つかった。本当は創作活動に専念したかったが、そうもいかない。創作とは金にならないものだ。と、私は考える。ならば、生活のための仕事をしながら、こつこつ一生をかけて創作していけばいい。そう私は心に決めた。
 ハルのなかに新しい命が芽生えたことが分かった。二人が出会ってからまだそんなに経っていないが「これは運命なんだ」と、私は彼女との結婚を決意した。それを彼女に話すと大変喜んでくれた。
 ハルの両親のもとへ挨拶にいった。父親は中学の教師をしていると聞く。結婚前に子供ができたと知れば、叱られ結婚を反対されるのではと少し心配したが、私が主旨をのべ頭を下げると、
「わかった。そう頭を下げんでいい」と、すぐに父親は二人の結婚を許してくれた。
 母親は色白で年齢を感じさせない綺麗な女性だった。彼女は私に笑顔を見せ、
「ハルをどうかよろしくお願いします」そう言って、深々と頭を下げた。私は、
「あっ、は、はい、、」とぎこちなく返事し、やはり頭を下げた。
 二人は結婚をして、新しくマンションの部屋を借り、一緒に暮らし始めた。穏やかな新婚生活だった。子供も彼女の腹のなかで順調に大きくなっていった。年も新しくなった。
 春が近づいたある晩、私は仕事帰り職場の仲間と二人、一杯やりにバーへ寄った。薄暗い店内のカウンターを前に二人は並んで座った。
「北原、おまえの奥さん色白ですごい美人なんだってな。ほんとうらやましいよ」
「その美人の妻なんだけど、実は雪女なんだ。出会ったときにそう言って話してくれたんだ」
 しまった! ついぽろっと自分の口をでた言葉に、私はぞぞっと震え、嫌な汗がわきの下を流れつたった。
「またどうしようもない冗談言って」
「ああ、冗談さ冗談。悪いな」
「あれどうしたんだ?なんだかおまえ震えてるぞ」
「風邪でもひいたのかな。なんだか急にひどく寒気してきちゃってさ。店入ったばかりで悪いんだけど、今日のところは帰ることにするよ」
 実際にひどい寒気が体の芯から襲っていた。私は職場の仲間を一人残し店をでた。
 月も星も風もない晩だった。私は駅に向かい街を歩いた。どんどん寒気はひどくなった。私はハルに命を奪われるのかも知れない。私はそれでも仕方ない。が、ハルとハルの腹のなかの子が気の毒だ。今ではすっかり忘れかけていた、出会ったときにハルから聞いた秘密の話が、私の頭のなかをぐるぐる巡った。

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