小説

『末裔』広瀬厚氏(『雪女』)

 依然太陽は頭上ギラギラと燃えさかり、地面は逃水に揺らぐが、女をとなりに歩く私は、不思議と暑さによる苦痛をさほど受けなかった。それどころか涼しいほどの感じさえ覚えた。歩きながら時折、女の腕の素肌が私の腕に触れそうに近づくと、どこか冷んやりとした。ちらと女の顔に目をやると、その雪のような白さに、真夏のさなかであることを忘れる。不思議な女だ。
 私がちょくちょく訪れるカフェへ行ったが満席だったので、しかたなく他に足を向けた。良さげなカフェを探し二人、灼熱の街を、汗ひとつながさず歩いているうちに、私の暮らすマンションのそばまで来た。私は思い切って言ってみた。
「あそこに見えるマンションに僕住んでいるんですよ。よかったら僕の部屋へ来ませんか?」
「ええ」とすぐに返ってきた。思わず私は「えっ?」と疑った。そのすぐ「良いですよ」と女は微笑する。「じゃあ」と私も微笑んで、そして続けた。
「そう言えばまだ名前言ってませんでしたね。僕は北原と言います。北原秋生ですよろしく」
「アキオさんですか。わたしは春と言います。山野春です。夏に春と秋が出会ったんですね。面白いわ」そう言ってハルは、うふふと笑った。「ちょっとおかしいですね」と言って、私も続けて笑った。
 二人はマンションの玄関をなかに入った。するとすぐハルが私に言う。
「アキオさんは運命を信じますか?」
「うん、ハルさんと会って今とても運命と言った言葉を意識してるところだよ」
「そうですか」そう言って私を見つめるハルの目はあまりに神秘的で、こちらが見つめ返すと、その中へと吸い込まれそうな思いがした。見つめ合った一瞬に、何十年、何百年、何千年、そのまたずっと長い時間の記憶を私は見た、そんな気がした。
「こんなとこに立ってないで、さあ中へ入りましょう」私が言うと「ええ」と彼女はうなずき、二人玄関を上がった。
 部屋に入ると私はそれまでなかば忘れていた暑さを感じた。開けておいた窓を閉めクーラーをつけた。するとハルはクーラーの下に立ち、送風口から出される冷気にあたった。彼女の黒い髪がより黒く、白い肌がより白くなってゆくよう私の目に映った。ショーウインドーを眺め立っていた時より、今いっそうハルの後ろ影に、私は見とれた。と、突然私のなかの得体の知れない欲望に火がつき、ふつふつと沸き立った。私は抑えきれないものに身を任せ、ハルを後ろから思いきり抱きしめた。冷たかった。が、私の沸き立つものもそれに負けじと熱かった。熱いものと冷たいものが中和して、何かしら性的なものとはまた違った、心地よい感覚に私は気が遠のく思いがした。
「アキオさん、覚悟はありますか?」とハルが私に問うた。その声は澄んで美しいものだった。

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