小説

『末裔』広瀬厚氏(『雪女』)

 猛烈な日差しが容赦なく照りつける大変に暑い夏の日だった。熱したアスファルトのうえ見える逃水が、その名の通り近づくと遠くへ逃げる。近づくとまた遠くへ逃げてゆく。
 ビルに取り囲まれたコンクリートジャングルの雑踏の中、その女は有名ブランドのショーウインドーをながめ立っていた。
 当時、勤めていた会社をやめ無職だった私は、何を思ってか一人暮らすマンションの部屋を出て、炎天下のまるで地獄のような街をあてなく歩いていた。熱に頭がやられぼうっとアホウのように歩いていた。多くの問題に直面し考えることから逃げ出したかった私にとって、熱にやられ思考をとめた頭はちょうど都合が良かった。このまま本当に頭がいかれてしまっても一向に構わなかった。熱に溶けて蒸発して消えてしまいたかった。そんな私の曖昧な焦点をしたうつろな瞳が、その女の後ろ影をとらえた。曖昧な焦点が判然と定まった。
 黒く長い髪をした女は、真夏に似つかわしくない透き通るような白い肌を、うすいグレーをしたワンピースから覗かせている。私の視線は完全に女に奪われた。私は距離を置いて立ち止まり女を見ていた。女の後ろ影は猛暑のなか涼しげ、否、冷たいほどに感じ目に映った。引き寄せられるかのように、止めた私の足が女に向かい一歩、また一歩と前に出た。と、その時、女がふらりとし、ショーウインドーの前、倒れるように膝を曲げうずくまり両手を地面についた。咄嗟に私は足を早め女に向かった。行き交う人々は女にまるで気がつかぬよう、平然と通り過ぎてゆく。
「大丈夫ですか?」と私は、うずくまる女の背後から心配そうに声をかけた。すると女は、そぉっとふりかえり私を見た。目と目が合った瞬間、私はつま先から頭のてっぺんまで凍える思いがした。それほどまでに女の目には全てを凍てつかすような、冷たく鋭いものが宿っていた。しかしすぐにそれは消え、柔らかな眼差しに変わった。そして女は、
「どうも心配かけてすみません。あまりの暑さで立ちくらみしまして、、、ですがもう大丈夫です」と言った。それからゆっくり立ち上がり、私に軽く頭を下げた。
 それは大変に美しい女であった。すっかり私は女に心を持っていかれた。
「あ、あの、、もしよろしければ。どこかカフェにでも入って、お話しいたしませんか?」
 躊躇せず私の口から言葉がでた。このまま女と何事もなく別れてしまいたくなかった。私は自分と女とのあいだに、何かしら運命と言ったものの存在を感じた。
「そうですね。どこかで涼んでお話ししましょうか」
 快諾する女の目に一瞬間、獲物を捕らえる野獣のような鋭い光を見た。その光は骨の髄まで凍らせるような冷たい光だった。私はその刹那ぞっと心震えたが、それは女の美しさからくるものだと悟った。それより女が私の誘いにのってくれたことに胸の高鳴りを覚えた。

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