小説

『犬が桃太郎の名を呼ぶ話』月山(『桃太郎』)

「鬼がいたのはもうずっと昔のことなのに、桃だけが川から流れてくるんだ。鬼の来ない平和な村に、桃太郎は要らないんだよ。異様な産まれ方をして、異常な力を持って、その使い道は今はない。持て余すだけなんだ」
「誰から聞きました。誰が話していました。桃太郎さん」
「噂話は誰もいないところでするように、村の皆に伝えてくれないか。でも犯人探しはされたくない。犬君、僕は別に誰も恨んでいないんだよ。その話をしていた人もけっして悪い人じゃない、僕を育ててくれたおじいさんおばあさんにだって、感謝している。すごいことだよ。やがて捨てる僕を今日まで大事に育ててくれた」
「捨てる訳ではありません」
「知っているよ」
「桃太郎さん、悲しいことですが人は自分と違うものを恐れるのです」
「だから恨んじゃいないよ。大丈夫だよ犬君」
「――これからのことも知っていますか」
「名前が変わるのだったよね」
「そうです。ここからずっと行くと海があります、そこから船で島に行きます、桃太郎さんにはそこで暮らしていってもらいます。これまでの桃太郎さん達もそこにいます。皆同じ経緯で島に行った、言わば仲間です。だからきっと貴方もすぐに馴染めます」
「そして名前が変わるんだろう」
「はい、それは、皆元々は桃太郎という名ですから、そのままだと区別がつかないでしょう。ですから改名してもらって、ああ、希望の名があればそれで呼んでもらえる筈ですよ、他の人と違ってさえいれば…」
「でも桃太郎とは呼んでもらえないのだろう」
「貴方は――桃太郎さんは、名を捨てたくないのですね」
「村の皆を恨んでいないと言っただろう。むしろ大切に思っているんだ。僕を育ててくれた村だ。村の皆が僕を桃太郎と呼んだ、おじいさんおばあさんが僕に桃太郎の名をくれた。たとえ、桃から生まれる子供につける名というのが最初から決まっていたとしても、僕にとって、桃太郎は二人に貰った名前なんだ。捨てたくはないよ」
「名を捨てないためだけに、桃太郎さんは」
「うん?」
「桃太郎さんはここで野垂れ死ぬのだと言うのですか」

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