小説

『エナイ』和織(『ルンペルシュチルツヒェン』)

 それから少年は、思いつく限りの名前を口にした。彼はそれを数分間黙って聞いてやり、首を横に振り続けた。
「全部違うの?」
「いっぱい名前を考えて、明日またおいで」
「ノートに書いてきてもいい?」
「いいよ」
「じゃあ、また明日ね」
 少年はもう猫を手に入れたかのように嬉しそうな表情を浮かべ、手を振りながら去って行った。殺し屋の彼は、いったん猫を自分の部屋へ入れると、コンビニへ向った。ツナ缶と新聞を買って戻ると、猫は部屋の中で、与えてあったツナ缶を食べ終えて満足そうにくつろいでいた。男は買ってきた新聞紙を部屋一面に広げてから、皿に水を入れて床に置き、横になりながらこう言った。
「俺の布団に粗相をしたら、今日中に殺してやる」
 食べ物を与えておくと、猫は彼が思っていたより静かに過ごした。しかしその夜の彼の仕事ぶりは、集中力にかけていたと後悔せざるを得ないものになった。無駄だったもろもろの部分を省けば、かかった時間を約十秒は短縮できた筈だった。無事に終わらせはしたが、十秒も時間を無駄にして無事だったのは、ツイていたとしか言いようがなかった。またこんな風に仕事をすれば、次はないだろう。
「全く、余計なことをするんじゃなかった」
 彼は猫の件を心から後悔しながら部屋のドアを開け、いつもとは違う部屋の様子に、新聞紙を敷いておいて本当に良かったと、息をついた。それがなければ、今にも猫を殺していただろうと思ったからだ。

「はい、これ読んで」
 そういって渡されたノートを彼が開くと、そこには端から端までびっしりと名前が書き連ねてあり、それが見開きで二十ページ程続いていた。
「すごいな。一日でこんなに考えたの?」
「学校の友達にも手伝ってもらった。あ、でも猫をもらうのは言ってないよ。どんな名前があるかなってお話ししただけ」
「そうか、偉いな秘密を守って」
 彼がそういうと少年はくすぐったそうな表情をした。彼は少年を部屋へ上げ、猫と遊ばせてやった。ノートを開いたが、もちろん殆ど見ているフリで、全ての名前を確認する訳もない。ただ、一日考えるだけで、名前とのはこんなにもたくさん出てくるものなのかと感心した。こんなに小さい子供が、これだけ考え、人からも意見を聞いてそれを書き留めるのには、なかなかのエネルギーがいるだろう。あんなものがどうしそんなに欲しいんだ?と不思議に思い、彼は猫と少年へ目を向ける。そもそも生き物というのは、傍においておけば金がかかるばかりだ。金になるのは、手放すときか、死んだときくらいだろう。こういう自分の考えが、一般には通らないものなのだろうというのは、彼自身自覚していた。しかし、それほど間違っていて、非難されるようなものでもないだろうと思う。

1 2 3 4 5