小説

『階段職人』早乙女純章(『小人の靴屋』)

「親父さんには悪いけど、これはいいきっかけになったのかもな」
 皆、難しい顔をしているが、誰一人、壊れた階段に駆け寄って中の様子を見に行こうとする者はいない。人間の暴動や階段の崩落といった二次災害に巻き込まれるのを怖れているのだ。ポストに視線を投げ掛けたり、背を押して、お前が行ってこいと促すばかりだった。
 ポストは階段職人になってからまだ経験が浅い。父が壊してしまった階段を自分ひとりの技術で修理できるものなのか自信など全くない。父の技術の高さは身近で見てきて十分に知っているのだ。
 けれど、父の姿を、無事であるかどうかをこの目で確かめなければならない。そしてどうしてこうなったのか原因を調べなくてはならない。
 階段が壊れても父は姿を現さない。自力では出てこられないのか、もしかしたら内部で倒れて意識をなくしているのかもしれない。
 とにかく早く父を救わなくては。
 ポストの脚がようやく動いた。
「『歯車』なんかにこだわり続けるから……!」
 怒声や苛立ちの声を上げる人間たちの足を掻い潜って、階段の内部へと滑り込んでいく。

 階段の内部は薄暗く、静寂に満ちていた。『歯車』が一つも回っていないのだ。
 どれか一つでも『歯車』が破損してしまえば、階段は壊れてしまう。
 ポストは手から『電柱』を発生させ、それを灯り代わりにした。
「でも、本当に父さんが疲れてしまったせいなんだろうか。父さんの階段職人の腕はみんなが認めてたんだし、父さんより上の年齢の人たちだって、父さんがすごい階段職人だって話してたのを覚えてる。僕だってそんな父さんの背中をずっと誇らしく思って見てきたんだ『歯車』のメンテナンスだって欠かさなかったし」
 けれど、やはり父のやることは古いと思ってきた。同じ階段職人になることには憧れてきたけれど、用いる技術の面では何度も衝突してきた。
 『歯車』は階段を昇り降りする人間の体を更に次の段、次の段へと促していく特殊な作用が働く。人間を助ける効果があるのだ。気持ちを前向きにさせ、疲れを緩和させる。
 ただ、その分階段職人にとっては自身の心身への負担にもなる。『歯車』式階段は、独りでその階段全段を担当する。人間一人が階段を昇り切る・降り切るまで、その人間の重さを独りでずっと支え続けることになる。まして通勤ラッシュの時など、階段を一度に昇り降りするのはかなりの人数に及ぶ。加えて、通勤ラッシュ・帰宅ラッシュの時間帯では特に疲れて階段を昇り降りするのが億劫な人間も少なくない。促す作用は否が応でも一層強く働くことになる。人間の気持ちがダイレクトに階段職人の疲労に繋がるのだ。人間が体感することはないが、気持ちをポジティブに動かすエスカレーターのようなものなのだ。

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