小説

『粗忽なふたり』室市雅則(古典落語『粗忽長屋』)

 桜木町の駅のそばで。
 アブラゼミがうるさい。
 待て。
 そいつは俺ではない。
 何故なら、俺は生きて、自分の目でそいつを見ている。
 手のひらに鈍い痛みを感じている。
 さらに今の俺の真っ黒の影はしっかりと立っている。
 少なくとも影だけは。
 だから、俺と同じ顔をした男が死んでいるだけだ。
 待て。
 俺は本当に生きているのだろうか。
 待て。
 俺は立ち上がった。
 「弟だ」
 そう声に出た。
 そうだ。
 俺には双子の弟がいる。
 どうしようもない弟で今日も朝から金を貸してくれと電話があった。
 きっとパチンコでも行く金だろうからすぐに切った。
 しかも弟のアパートはこの近くのドヤ街の付近だ。
 野次馬を整理している警察官にその声が届いたのか、俺の前に立った。
 「弟?」
 「はい、弟なんです。双子の」 
 俺は死んでいる弟を指差し、自分の顔も指差した。
 警察官が俺と弟の顔を見比べて納得したように頷いた。
 それが聞こえた野次馬たちの一部も一緒になって俺と弟の顔を見比べて頷いた。
 第三者が入ると客観性が生まれるのか冷静になる。
 弟が死んだ。
 ろくでもない弟だったが、唯一の身内。
 それに死ぬには早過ぎる。

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