小説

『明日、桜を食べに』柿沼雅美(『桜の樹の下には』)

欲しがって自分で飲んだくせに蓮はスプーンを進めず、テレビに意識が集中していた。茜はテーブルにこぼれたものを拭き取った。蓮のマシュマロのような首に、てらてらと透明なスープが線を描いてこぼれていて、むかつくけどかわいいな、と思った。
 ふわふわとした皮膚を拭いてやると、蓮のカットソーの首元に桜の花びらがくっついているのに気が付いた。
 そういえば保育園からの道に桜が咲いていたんだな、と思い出した。咲いていたかどうかもはっきりと覚えていないくらい、送り迎えでいっぱいなんだな、と改めて思った。
 耳元で、ママママママママ、と、テレビを指さして何か訴える蓮の声を聞きながら、茜は、あ、今年は桜の樹の下に行かなきゃ、と思った。

 冗談でしょ。
 小さく笑いながら言う斉藤美保に、部下の真田健太が謝りの頭を上げる一瞬、冷めた目をしたのが分かった。バカにされたって思ってるんだろうな、こういうふうに頭下げて説明するのも面倒って思ってるんだろうな、と手に取るように分かった。
 「説得するほどの知識がなかったってことだけど、真田くんが悪いわけじゃないから、気にしなくていいから」
 美保が言うと、また、すみません、と真田は頭を下げて美保を見ずに席へ戻った。その姿を若手の何人からチラッと気の毒そうに見るのが分かる。あぁまたこれで、ちょっと若くて中堅のなかで出来るからってうるせーなとか自分の話題で盛り上がるんだろうな、と思った。
 パソコン、マルチメディア、半導体で国内トップだったはずのこの会社がみるみるうちに不穏な空気に包まれている。ムーディーズの格下げも公表され、社会的にも魅力のある会社と言えなくなっている。
 今回の真田も、真田のミスではないのは重々承知していた。会社の不適切会計が明るみに出て、進行中だった取引会社への説明が必要となった。真田でなくても仮に美保が説明をしていたとしても納得はしてもらえなかっただろうと分かる。実際美保たちも不適正の細かい不の部分までは知らず、外部用の説明が会社から与えられているだけだった。それでも、なんとか説得をして安心とまではいかなくても信頼回復に努めるのが第一だと分かってほしかったのだった。
 美保は、ズボンのウエストゴムを親指と人差し指で引っ張りながらパソコンを眺めた。ゴムでもやっぱり仕事をする格好は窮屈だと思う。
 え! と、入社1年目の浅野さんが声を出した。なに? 虫でもでた? と優しく聞くと、いえ、すみません、と返したあとで、メールが、と言った。

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