小説

『夢のあと』篠崎亘(『山男の四月』)

「手前味噌でなんなのですが、わが社のどんぐりは、それはもう、ほかのどんぐりとは比べものにならないほどおいしいですよ。絶品です。とくに、粉にしたときにその違いがわかります。まず、香りがちがいます。ほかのものは粉にするとキナ臭さがでますが、わが社のどんぐりはココナッツミルクのような濃厚な甘い香りがただよいます」
 三毛猫はアタッシュケースを地べたに置き、長い爪でぱちんと留め具をはじいて開けると、顔半分まで裂けている大きな口で口笛を吹きながらなにかを探しだした。それから、鋭い歯をむきだしにしてニヤッと笑い、なにかをつかんだ手を彼の前に差しだした。
 三毛猫の弓なりの爪にはさまれていたのは、皮のむかれたどんぐりだった。
「試しに、おひとついかがです?」
 彼は差しだされたどんぐりを受けとると、口に放りこんで噛みくだいてみた。その瞬間、今までに経験したことのないほどの苦みが口いっぱいに広がったので、顔が紙をまるめたようにくしゃくしゃにゆがんだ。
「これは、なんとも、その、すごく、苦いですね」
「その苦さがいいのです。苦ければ苦いほど、粉にしたときにその苦さが甘みに変わりますから。もちろん、茹でて召し上がっていただいてもおいしいですよ。そのばあい、灰汁はじゅうぶんにとらないといけませんが」
 そう言い終わるか言い終わらないうちに、三毛猫は「おや」とつぶやいて、彼がのぼってきた坂のほうへ彼こしにその大きな目を向けた。なにかあるんだろうか、彼も振りむいて目をやると、二列にならんだひとの行列がこちらへのぼってくるのが見えた。
男は黒の袴姿、女は黒の着物で、手にはみんな明かりのついた提灯をぶらさげている。進みはひどくゆっくりで、まず左足をだしていちど立ちどまり、右足をおなじだけだして両足をそろえると、また立ちどまり、こんどは反対に右足を前にだして立ちどまり、そうして左足を前にだし……というのを延々にくりかえしていた。雨はまだ激しく振っているのに、傘もなにも差していないはずの行列のひとたちは、すこしも濡れていないように涼しい顔をして、うつむき加減に黙って歩いていた。
「あれは狐ですよ」耳のそばで、湿っぽいまとわりつくような三毛猫のささやく声が聞こえた。「これから新郎の家にむかうところのようですね。ごらんなさい、列の先頭にひとりだけ、白無垢の衣裳の女性がいるでしょう。あれが花嫁です。どうです?いまはまだ、未来に待っているものが、紛れもない幸福だと信じてやまないという表情をしているでしょう」
 たしかに三毛猫のいうとおり、列の先頭には純白の花嫁衣裳に身を着かざり、年輩の女に手をひかれながら、白粉の下で頬を桃色に染めて微笑している若い女の人がいた。

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