小説

『都会の街の喧騒の下』阿賀山なつ子(『桜の森の満開の下』)

「なんだ、俺を知らないの。東京じゃあ有名なのに」
 男は威張りました。少女は男の顔をチラと見て、それから視線を前に戻しました。男はむっとしました。そして、どうしてもこの少女を自分のものにしたいと思いました。
 男は少女の腕を掴みました。
「一緒に食事をしよう。どんな高いものだって食べさせてあげるから」
「興味ないわ。」
 やっと少女が答えました。その言葉は男を拒否するものでしたが、男は少女にこちらを向かせることができたので喜びました。
「じゃあ、高級な服を買ってあげよう。店にあるもの全部、君のものにしてあげる」
「そんなもの要らない」
「じゃあ、なにが欲しいの」
「新しいもの」
「新しいもの?」
「見たことないものが見たいわ。」
 少女の言葉を聞いて、男は鼻を鳴らしました。男は東京を持っていましたから、こんな田舎の少女に見たことのないものを見せることくらい簡単なことだと思いました。
「そうね、歌を聞かせて」
「なんだ、そんなことでいいの」
 男は歌いました。それは男の仕事のうちのひとつでしたから、自信がありました。男は東京で作った歌を、何曲も少女に歌って聞かせました。ある曲は明るく楽しげで、ある曲は切ない恋の歌でした。男は初めて、たった一人の客のために歌いました。少女は最初のうちは聞き入っていましたが、次第に飽きて、うんざりしたような顔をしました。
「気に入らなかった?」
「私、鳥のさえずりや木々のざわめきのほうが好きだわ」
 男は困惑しました。なぜなら、男にとって鳥のさえずりや木々のざわめきはつまらないものでした。そういうものに飽き飽きして、男は東京へ行ったのでした。
「じゃあ、なにが欲しいの」
「そうね、お話が聞きたいわ」

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