小説

『走れ土左衛門』山口香織(『走れメロス』)

 脚本を書き直さなくてはならなくなった。タイトルも『走れ蔵之介』だ。印刷係の杉本が、チラシをそのタイトルで刷ると言っていたから、もう変えられない。肩に重さが二重三重になってのしかかってくる。

 二日後、沖田は新しい脚本を完成させていた。二夜連続で徹夜――いや、机の上でうたた寝はしたか。とにかく、寝る間も、学校や塾の宿題も、ゲームも、テレビを見る間も惜しんでの作品だった。寝不足のため体をぐるぐる回しているような目眩と浮遊感があり、足元の感覚がはっきりしない。だが不思議と思考は明瞭で、もやもやふわふわとした頭の中で、意識だけは活発に動いていた。
 放課後になり、再び杉本が印刷してくれたばかりの脚本をみんなが眺めている。しばらく置いて、沖田はおずおずと切り出す。
「これでいきたいんだけど、どうかな?」
 まだ読み切っていないのか、みんな紙の上に視線を落としたままで、返事がない。沖田の心に不安が過った時、口火が切られた。
「いいよ、これ。すっげえいい」
 メロ――いや、蔵之介役の林だ。それを機に、みんな続々と称賛の声を上げ始めた。
「面白いよ。いい劇になりそう」
「なんかラスト感動的だしね」
 安堵でほっと胸がすく。しかし、眠気で異様に狭くなった視界の隅に、不満げな顔が映った。早見だ。
「早見さん、なんかある?」
 聞いてみると、早見は口をすぼめて、ふう、と息を吐いてから、
「これ、ジュリエットとの感動の再会で終えるのが普通じゃない? 死なないなら結ばれるわけだし」
 突然、目の前に速球が投げ込まれた。確かに、このストーリーならそうかもしれないが、でもラストにはこだわりがあるのだ。彼が表現したい「人の信実」を強調するために、ラストで王――もとい、お館様にこのセリフを言わせるのだから。
「でも、この物語で一番言いたいことがラストだから、変えるのはちょっと――」
「だから、変えなくていいから少し書き足してよ。王城に辿り着いた後、マント差し出す女の子をジュリエットにすればいいじゃん」
「でも、それだと蔵之介よりもジュリエットの方が速く走って城に着いたことになっちゃうから――」
「いいじゃん、それで。何が悪いの?」
 いや、何がって……。いくらなんでもまずいだろ。どんだけすごいんだよ、ジュリエット。

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