小説

『笠地蔵と飯盛女』宮城忠司(『笠地蔵』)

 長逗留の客には朝まで添い寝することが飯盛女の慣習とされていた。おせんにとって、毎日平蔵に抱かれるのは、たかだか四畳半の、男と飯盛女の治外法権の場であった。平蔵はおせんの決意を見抜いていたようである。平蔵が旅立ちの朝、おせんは暗いうちに起こされた。
「ここに、旅装束を用意してある。草鞋十足と柿渋を塗った合羽もある。どうしようと勝手じゃが、五平餅を包んでおいた。
 お守りも熊野神社で買ってきた。中にアカネの種を入れてある。根は漢方薬であって、茜色の染色材料でもある。ワシ、薬売りじゃからのう。珍しいもんじゃから、おせんの生きて行く足しになればと思ったがや」
 それだけ言い残し、平蔵は夜明け前に高崎へと旅立った。
 その日、客を取れなかったおせんは、皆が寝静まるのを待って、旅装束に身を整え裏木戸から逃亡した。あいにくの土砂降りで、逃げるには好都合だった。おせんは暗闇でも目が利く能力を備えていた。道がぼんやり白く浮かんで見えるという具合である。
 浅間山を右に見て急げば、明け六つ(五時)には上田の城下町に着くだろうとおせんは思った。そこはもう他国である。浅間山の赤い噴煙を目印にして、おせんは先を急いだ。
 越後がどの方角にあるかも知らず、地理、土地勘が全く分からないおせんは、ひたすらに平蔵の寝物語を信じるしかなかった。誰にも会わずに追分宿を通り抜けたのが幸運だった。
 夜明け前に上田の城下町を素通りして、陽が上ると街道から山に分け入り、五平餅を食べ、霊験あらたかな大木の下で眠った。うら若き女の一人旅である。どこで難癖が降りかかるかもしれず、日中、人に会うことはためらわれた。寝静まってから一挙に距離を稼ぐのが安全だった。
 信州善光寺には翌日の朝方に到着した。氷雨が降っていたが、境内で雨宿りをして団子を買って食べた。平蔵が五十文ばかりを用意してくれていた。善光寺にはお遍路さんが沢山いたから怪しまれることは無かった。
善光寺で形ばかりの参拝をした後で、庫裏横の縁の下で身体を休めたが眠れるものではない。追手が迫っているのではないかと、おせんは気が気で無かった。しかし、昼間の女一人旅は怪しまれるだけのものだったから、身動きをせずに縁の下で隠れていたのである。
 修行僧は参拝客には好意的で、何かいわくのありそうなおせんを、見て見ぬ振りをして問いただすことはしなかった。おせんばかりでなく、命からがら寺に逃げ込み、助けを乞う女人が多かったせいでもあったろう。
 行く先の目標がある訳ではなく、ただひたすらに逃げ落ちのびることが目的だった。逃亡者に気を休める余裕など全くなかった。暗くなってから小雨が降りしきる中、北国街道を越後へと急いだ。

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