小説

『笠地蔵と飯盛女』宮城忠司(『笠地蔵』)

 おせんは十五歳の春から客を取った。器量が良く色白で、柳のようにしなう体は客好みで、しばらくの間に宿の稼ぎ頭になった。それでも客が取れない日は食事を取ることが許されず、それが続くと体力が疲弊して病気になるのが落ちであった。働くことができず、病で寝込んでしまったおネイサンは、一ヶ月もしないうちに生きているままで牛首山に捨てられた。そんな死に方は余りにおぞましくて、勝気なおせんは、人としてのプライドが許さなかった。
 軒下で客を待ち、目があった旅人の荷物を強引に引き取り、宿に連れ込むという手段で、おせんはその日の腹を満たしていた。おせんの最初のなじみ客は越中の薬売りだった。峠に雪が降らない秋口に、毎年決まっておせんの宿を訪ねた。十日ばかり追分宿に泊まり込んで、あちこちの家に上がり込んで薬を売っている様子だった。
 十八歳の秋であった。薬売りが妙なことを言った。
「おせん?いつまで飯盛女を続けるんじゃ?そりゃー、行くところもないのは分かるけど、このままでは何の楽しみもなく死ぬだけやろう?どうせ先の短い命なら、好き放題に生きたらどうや?」
 薬売りが何を言っているのか、おせんには分からなかった。その行為は即座に死を意味していたからである。おせんはからかい半分で平蔵に訊ねた。飯盛女風情を気遣う客は誰一人いなかったからである。半分使い古しの桶や樽とそん色のない『消耗品』であった。
「だったら、平蔵さん?オラの身請けをしてくれるがかや?」
「そんな甲斐性、ワシにあるはず無いやろう!ただ、言ってみただけや」
 それから三日の間、平蔵はおせんの耳元で同じような寝物語を喋り続けた。独り言のようでもあった。
「ワシが逃げるとしたら、北国街道を北に向かって逃げるやろう。浅間神社を右に見てまっすぐ行けば、すぐに分別れの三叉路じゃ。左へ行けば中仙道、右が北国街道じゃ。道標が建っとるから迷わんじゃろう。夜通し歩き続けりゃー、小諸藩を抜けられる。他藩まで追手は来ないやろうし関所もない。朝には上田の城下町に着けるやろう。後は運しだいじゃ。乞食でも、春を売るよりましやろう。そうは思わんかや?
 そうやのうー。着替えと雨具ぐらいは持って行かんと、直ぐに凍え死じゃ。
 ワシは追分宿に泊まるのは後四日じゃ。それから高崎へ行って行商じゃ」
 平蔵は勝手に小声で喋り続けた。その三日間、興奮して眠れなくなったのはおせんの方である。逃亡への作戦を説いたのには違いなかった。おせんは平蔵の知恵を借りて、この阿修羅の世界から逃れようと決心した。追分宿で永らえても、後十年の命である。そう思うだけで随分と気が楽になった

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