小説

『星めぐりの』ノリ・ケンゾウ(『 銀河鉄道の夜』『双子の星』宮沢賢治)

「ねえシュウタ、お父さん、会いに行きたいか」
「お父さん? お父さんって、あのお父さんのこと」
「そうだよ、お父さんといったらお父さんだろう。他にどんなお父さんがいるの」
「そうかお父さんかあ。そしたらぼくにも、お父さんがいるの」
「いるよ」
「本当に?」
「本当」
「でもぼくみんなに、可哀想って云われるよ。シュウタはお父さんがいなくて、って。おばさんたちにもよく云われるよ、ミヤコちゃんとシュウタは、えらいねえ、って、褒められる」
「それは違うよシュウタ。お父さん、いるよ。お父さんがいなきゃシュウタもねえさんも生まれない」
「そうなの、いるの」
「うん、いる」
「じゃあみんな、嘘ついたの」
「ううん、嘘じゃない。でもいるの」
「ねえさんむずかしいこと云う。そしたらお父さん、どこにいるの?」
「電車に乗ったら、会える」
「電車? ぼく電車すきだ」
「なら行くよ、電車に乗って。お父さんに会いに」
「うん、ぼく行こう。でも電車はお金がいる? ぼくそれが心配だ」
「お金はねえさん持ってるから。母さんから貰ったお小遣いが」
「ねえさんすごい」
「別にすごくない。シュウタ、お父さん、会いに行くよ」
「分かった。会いに行く」

 シュウタはミヤコの手に掴まり歩いているときに、よく目を瞑ってみるときがある。まっくらの中を歩いていると、猫の足音や風の笑い声が、すんと耳に入ってきたりして気持ちがいいからそうしてみる。それにミヤコが気づくと、目を瞑って歩いたりしたら危ない、やめな。と云って叱るがシュウタはそれがやめられない。段差に躓いたりしたときに体が下がり、ぴんと腕が引っ張られる感覚も好きだ。ミヤコに手を握られていることがすごく楽しい。シュウタの歩幅は、ミヤコの歩幅より五十センチも短い。ミヤコが一歩すすむごとに、シュウタは二つ歩かなくてはいけない。そういうときに、ミヤコはずるい、と思う。シュウタにできないことが、ミヤコには簡単にできて、シュウタの知らないことを、ミヤコはたくさん知っている。ミヤコは電車にだって自分で乗れる。

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