小説

『忘れえぬ訪問者』登石ゆのみ(『忘れえぬ人々』)

――私も、私なんかを覚えていてくれる若者がいてうれしいよ。
「そんな……。それにもう、若いという年齢では……」
 正座した宿の主人はかしこまって応える。
――わたしから見たらひよっこだよ……。さて、友達もおるようだし、わたしはこれでおいとまするよ。これからも元気でね……。
 老婆のその言葉を最後に、テレビ画面は真っ暗になった。電源が切れたようだ。

 
 狭い部屋に静寂が鎮座する。
 嵐の音はどこか遠くに聞こえる。
「何だったのだ。今のは」
 中津は、ようやく口を開いて、それから息をふーっと吐き出す。
「わからん……。不思議なこともあるもんだなぁ。まあでも良かったよ」
 何か憑きものから解放されたような表情で春丘が応える。そしてこちらもふーっと息を吐き出す。
「キミはずいぶんと自然に話していたようだが」
「うん、自分でもびっくりするぐらい自然に話してしまったよ」
「何ともないか?」
「ああ、問題ない。続けるか?」
 にわかに嵐の音が大きく響くなった。窓をガンガンとうちならす。
「そうだな。そのほうがいいような気がする」
 カーテンの向こうの窓ガラスを一瞬だけ気遣って、中津が応える。
 いいんだな、とでも言いたげな表情で、春丘が中津を見たが、中津はただ小さく首を縦に振るしかなかった。
「こほんっ。では……」
『次にわたしが、忘れ得ぬ人々の一人に数え上げたのは、苔地蔵の老人である。彼は小柄で、足が不自由そうだった。しかし繁華街の片隅に小さく座っているお地蔵様に毎朝、水をかけていた。これは水行を強要しているわけではなく、お地蔵様に感謝をしている証だという。そして、そのお地蔵様は、水を毎日かけられるせいか、苔ですっかり覆われて、苔地蔵と呼ばれるようになった』
「繁華街の苔むしたお地蔵様か。中々風情があるな。というか老人は何を感謝しているんだ?」
「それはこれから書いているはずだよ」

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