小説

『ミサキ・マサキ』和織(『ウィリアム・ウィルスン』『不思議の国のアリス』)

 何が何だかわからなかった。やけに静かになった教室の中で、僕は一人混乱を続けていた。けれど休み時間になると、クラスのみんなが僕の周りに集まって来て、口々に「かっこよかった」だの、「すごく勇気があるね」などと言ってきた。彼らと、授業中の教師の反応を思い出して、ようやく僕は、自分が見ていたもう一人の岬真咲が、みんなには僕に見えていたのだということを知った。だから、それは違うのだと弁解しようとしたのだけれど、口にしようとすると、たちまちそれが果たして真実なのかどうか、自身が持てなくなってしまった。だから僕は、ただ黙っていた。頭の中を整理しようと試みたけれど、上手くいかなかった。岬真咲本人は知らないうちに早退していて、次の日から学校へ来なくなった。そしてクラスには、平和が返ってきた。後に、岬真咲はまたどこかへ引っ越して行ったという噂を聞いた。そうなのか、と、ただそう思った。それからは考えないようにした。そこで、僕と岬真咲のお話は終わり、の筈だった。だから高校で彼と再会したとき、僕は終わりが見えない歯科矯正をするみたいな落胆に襲われた。
 岬真咲は、何も変わっていなかった。というより、子供の頃より、その存在感はだいぶ厚みを増しているように見えた。きっと彼はずっと、都合の悪いことから逃げ続けられる環境にいるのだろうと思った。だから自分自身ではなく、居場所の方を、何度もリセットしてきたのだろう。そしてその度に、たくさんの横暴さや我儘が、解消されないまま重なり合ってきたのだろうと感じた。しかし、岬真咲は成績もよく、運動も得意だった。それに見た目も悪くない。常に目立つ挙動をする彼はたちまち有名になり、学校で彼のことを知らない者はいなくなった。高校生になってからは、さすがに授業中に地団太を踏むことはなくなったようで、彼の横柄な態度は、「堂々とした自信家」と捉えられているようだった。あの年代はそういう強さに惹かれるものだし、傍から見ているだけなら、確かにそのギラギラした強さは少し羨ましかった。けれど僕が願っていたのは、彼がまたどこかへ行ってしまってくれたら、ということだった。どれだけ避けても、同じ学校にいればいつか関わらなくてはならなくなるかもしれない。そうしてもしもまた、あの妄想とも幽霊とも言えないものが現れたらと、そう考えながら過ごすのなんてごめんだったのだ。
 どうか同じクラスにはならないようにと願い続けて、幸いなことに、一年生二年生と、岬真咲と違うクラスで高校生活を送ることができた。廊下ですれ違っても、僕は彼を見ないようにしたし、向こうも僕のことには気づいていて、避けているようだった。それは僕にとってとてもありがたいことだった。三年目もこの幸運が続けば、岬真咲の態度からしても、それは僕たち双方の願いであった筈だ。けれど、結局叶えられることはなく、三年生になってとうとう同じクラスになってしまった。三年という年が救いではあったけれど、特にあの頃の僕らにとって、「見ないようにする」という行為は、それをものすごく気にしているからそこ起こさなければならないアクションだった訳で、距離が近い分、お互い随分気まずい思いをして、教室内でかなり無駄に体力を消耗していたと思う。

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