小説

『夢みるピアノ』草間小鳥子(『ピアノ』)

 首を傾げると、女の子は肩をすくめ、
 「明日、調律師さんが来てくれるの。だから、悪いんだけど、また明日遊びにきてちょうだい」
 歌うようにそれだけ言うと、スカートのすそをひらりひるがえし、すとんとピアノの前に座りました。わたしと同じ紺のセーラー服が壁にかかっています。でも、
 (あんな子、見たことないなあ……)
 ピアノの音を背に、わたしは帰りを急ぎました。

 次の日の放課後。
 響いてくるピアノの音に誘われて林を抜けると、ちょうどお屋敷の門から出てきたカンカン帽のおじさんと勢い良くぶつかってしまいました。
 「おっと、これは失礼」
 おじさんはわたしの手を引いて起こしてくれましたが、わたしの指をじいっと見つめたまま。なんでしょう、手をひっこめます。
 おじさんはたくわえた口ひげをにこやかに持ち上げ、言いました。
 「あー、ピアノをじょうずに弾く、よい指ですな、うん」
 しわがれ声でおじさんは言い、うんうんとうなずきます。ジャケットの内ポケットから紙切れを取り出し、
 「あー、おたくのピアノも、具合が悪くなったら、あたしを呼んでくださいよ」
 と差し出しました。そこには、

 ナルセ楽器店
 ピアノ調律師 成瀬 鍵(ナルセ ケン) 

 の文字。おじさんは機嫌良く、名前の下に並んだ数字を指さし、
 「あー、これはね、うん、電話番号ですわ。うちの。あー、8848-3150、『バッハ・ショパン・サイコー』ってね」
 「バッハ、ショパン、サイコー…」
 「そうそう、『ナラセ、ケンバン。バッハ・ショパン・サイコー』って語呂で覚えてくださいよ」
 おじさんはくっく、と笑います。女の子の呼ぶ声がしました。
 「あぁ、いらっしゃい! さあ、あがって。どうぞ、どうぞ」

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