小説

『I am 救世主』亀井ハル(『桃太郎』)


 ものすごく不快な音がして私は目を覚ました。ギギギギギギィ―?ギャンギャンギャンギャン?私のオノマトペ語彙じゃ表現できない耳慣れなさ。なんじゃ今の音は。交通事故か?そんなことを寝ぼけた頭で考えていたとき,詩的な私の部屋の匂いに交じって腐臭がした。臭いのは悪。そのワードが頭をよぎると同時に私の心臓は大きくドクッと脈打った。決してハッピーではない。それだけはわかる。私は真っ暗な部屋の電気をつけようと直方体のリモコンを探した。床に這わした手の小指に何かが思わず触れ,私の手は飛び上がった。イヌである。安堵と共にイヌに声をかけた。
「どうしたの,これ」
「分からない。とにかく気持ち悪い、ネコも帰ってこないし。鼻がとれそうだ」
 私は急いでリモコンを探したが見つからず,結局壁のスイッチを這うようにして押した。つかない。電気がつかない。なんなのよこれ,私は一瞬パニックになったが,大きく深呼吸して心を落ち着かせた。大丈夫。肉体は私を裏切らない。脳みそのスイッチをオフにして,ありのままを受け入れるのだ。パパやママを呼ぶのはなんとなく嫌だったので,これからどうしようかとイヌに相談した。 
「とりあえず情報を集めよう」
 やはり去勢されたイヌは違う。極めて冷静だ。イヌのその言葉に勇気をもらって,私はこの部屋を出ることにした。何かが怖くてひきこもってた訳じゃないけど,扉を開ける手は少し震えていた。理由なく始まったものが,強制的に終わらされるのは誰だって拒否反応を示す。ただ,それだけ。ふるえているのは,慣性の法則。感性の法則。もう一度,大きく深呼吸して思い切ってドアを開けた。部屋の外の廊下は変わらず真っ暗だった。すぐ横の穴は落とし穴ではなく階段で,私はイヌと踏み外さないように慎重に歩いた。1階にはパパもママも誰もいなかった。静まり返っている。目も段々暗闇に慣れてきて辺りを見回す。机の上には食べかけのシチューが2つとトマトとアボガドのサラダが今さっきまで食事していたかのように時間を止めている。私用の皿もキッチンにポツンと置いてある。
 部屋の電気をつけようとしたがここもつかない。ブレーカーがどこにあるのかは忘れてしまった。私は階段のすぐ横にある物置から非常用袋を取り出すと,中から懐中電灯と手動ラジオを取り出した。イヌは何も食べていないようだったので,非常食の乾パンを粉々に手で砕いて食べさせてあげる。懐中電灯の電池は生きてて,周りを照らしてみる。部屋の中はやっぱり変わった様子は見られない。懐中電灯を床に置いて,今度はラジオを回し始めた。雑音と共にかすかに聞こえてくる声。
「非常……大型の…………にげて……オニが……ガガガガピュー」
 それ以上ダイヤルを回しても音は捕えられなかった。ソファーに座って天井を見上げながら,この家には今私しかいないのかとふと孤独を感じた。シチューを途中で食べるのをやめて急いでどこかにいくなんて普通は考えられない。だとしたら答えは一つ。普通は終わったってこと。常識の終わり。常識の外。新しい常識がはじまるのね。そうだとしたら,私の出番。虫のおじさん見ててください。孤独に耐えて私頑張ります。

1 2 3 4 5 6