小説

『I am 救世主』亀井ハル(『桃太郎』)


 私がひきこもっているのは,もちろん貰い子だということは関係ないのだが,あの怯えきったような,あきらめたようなママとパパの声を聞くとわかりやすい理由を提示したくなっていつもヒステリックに叫んでしまう。この部屋に住みついて半年ちょい。すっかり私好みの少し黒ずんでいるような優しい雨が降り続いているようなそんな感じの匂いが染みついてきたんだけど,この表現だれにも伝わんないだろうし,そもそもここから出ない私にとってそんな私的で詩的なことはまったくもって意味がないのである、うん。あっ、ポッキーなくなっちゃった。ノート、ノートっと。升目を無視して女の子らしくない豪快な文字で(ポッキーいちご味至急支給!)と書きなぐって,ステンレスの物差しで丁寧に破った後(ここら辺がB型一家のこの家にA型の私が一人なじまない理由かも)扉の下からスーッと廊下に押し出す。このフローリングに紙が擦れる音が好き。特に欲しいものがなくてもこのスーッが聞きたくて,欲しいものを考える時間もたまにあるくらい好き。好き好き。ガチャガチャジャララ。4時28分。ママがパートから帰って来る時間。この部屋に入ってからずっとママの顔見てないけど,どんなんだったっけ。そうそう,私に似てなくてザ・田舎のおばちゃんなんだけど,目だけはチワワみたいに潤んで,大きくて,アンバランスなのが笑っちゃうんだよね。だけど,あの眼は卑怯。なんか,こっちが悪いみたいなオーラばりばりだから,すっげー一緒にいると疲れる。あっ、嫌なこと思い出しちゃった。中学の入学式。
「桃ちゃんみたいに綺麗じゃなくてごめんね」
 入学式って達筆で書かれた立て看板の横でぼそっとあの眼で言われたとき,私のこと女として見ている感じがびしびし伝わってきたんだよなー。きもいよなー。こうやって,ひきこもってること一番喜んでるのママだったりして。ひえー,女がこの世で一番恐ろし,恐ろし。
「桃ちゃん、ただいま」
 もちろん私は何も答えない。この後の沈黙がいつも気持ち悪い。扉越しで見えてないけど,あの潤んだ大きな眼で私を睨んでるんだろうか。
「ごめん、桃ちゃん。今日帰りにスーパー寄ってきちゃったから、ポッキー明日でもいい?」 
 また,沈黙。いいに決まってるじゃないの。私はパートで働いてきていただいたお母様の寄生虫なのですから。
「ああ,でもパパのご飯作った後なら時間あるからどうしても欲しいなら,もう一回教えて頂戴」
 はーい,ママ。ありがとね,ママ。大好きだよ,ママ。だから早く私の部屋の前から消えてくださいませ。お願いいたします。カーテンの隙間から漏れる光が徐々に薄くなって,今日も地球に優しく5時前に私の一日が終わろうとしている。

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