小説

『小さな私の思い出』加藤饅頭(ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』)

 五年後、私と森田は中学でまた同じクラスに戻り、我々がデジモンやポケモン以前に情熱をかけていた、あの昆虫たちのことを思い返すようになった。森田は長く飼っていたゴールデンレトリヴァーを亡くしてから、なんであれ生き物がいなくなるということを深く考えすぎるようになっていた。彼は昆虫たちの気持ちを代弁しようと、十五分休みに言葉を使った昆虫の物真似を始めた。「わたしたちはどこへいったんでしょう?」。例えば、森田は両腕をぱたぱたさせて、モンシロチョウの物真似をやった。
「わたしたちは死んだんでしょうか?」
「そうだと思います」私は答えた。
「だとしたら、死によって、なにか始まることはありますか?」
「なに?」
「つまり、一度始まったことが終わったとき、次に始まるものはありますか?」
「わかりません」
「わかりません、で済むかよ」森田が言った。
 あるとき、解剖実習中にりゅりゅりゅと秋の虫の鳴き声が聞こえてきたが、窓際を見ると、今中が薄い唇を曲げて、死にかけのエンマコオロギの鳴き真似ををやっているだけだった。彼女は昔から、死にかけの昆虫の声の模写をうまくやる方だった。五月に我々の街に戻ってきて以来、彼女はずっと金髪を通したままで、授業で先生に指されても、ぴくりとも動かず、低いところで腕組みをしたまま質問に答える生徒だった。そのすぐあと、イモムシの背中の皮にハサミをいれたときに今中が失神したので、班のみんなで彼女を保健室のベッドに運んだ。子どもの頃にも、彼女は餌のキリギリスの足を一本一本ちぎっている我々を見て、手のひらで顔を覆ったまま気を失ってしまったことがあった。
 遊歩道の森の伐採が始まる前の晩、街の人々はこぞって遊歩道へ散歩に出かけた。九月の最初の土曜日で、宵から月がくっきり見えていた。前夜祭の開会には町長が挨拶に顔を見せ、伐採祈願のスピーチのなかで、遊歩道の木々の死を悼んだ。森の手前の中央広場にかけて、遊歩道には点々と屋台が続き、小さい子どもたちが原っぱを駆け回って遊んでいた。我々は坂道に沿って列に並び、田んぼを掘り返した供養の穴に、それぞれ持参した昆虫の死骸を落としていって、木々の魂を弔った。
 線路から川辺に下りていくと、今中が裸足になって川を向こう岸へ渡っていた。彼女は岩場に打ち上げられた四、五匹の死んだアユをぼんやり見ながら、ひやしあめを飲んでいた。最初の花火が打ち上がったあと、我々は二人でマス釣り場へ移動して、串刺しの焼いたニジマスを買って食べた。我々は、小さい頃に大木の母親に連れられて、遊歩道の川原の端でビニールシートを並べ、天見町の花火を見物したときの話をした。それから遊歩道を行き止まりまで歩き、川原の端の、昔のその場所まで下りていって、水際の、崖の傾斜が始まるあたりに腰を下ろした。後ろの工事用フェンスの足元に、ツクツクボウシの亡骸がひっくり返っていた。

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