小説

『3番ホームで』宮本ともこ(歌舞伎『勧進帳』)

「兄さんこそ、写真を撮られて平気なんですか」
「そう思うなら、一緒に列車を降りろ」長兄は慌てて、言い直した。
「いや、一緒はマズイ。今はひと目がある」
「ほらね。兄さんは自分だけが大事なんですよ。僕らは兄さんの横暴に耐え切れなくなったんです」
 経義はまっすぐに私を見た。経義の気持ちに迷いはなかった。
「車掌さん。この女性の言う通りです。僕がやりました。僕は痴漢なんです。ねぇ、兄さん。これでサヨナラですね。痴漢をやった僕は、政治家のブレーンにはもう、戻れません」
 義経は手首を揃えて、私に差し出した。
「さあ、僕を私人逮捕してください」
「と、いいますと」
「ほら、現行犯ですよ。現行犯なら、誰でも逮捕できるんでしょう」
「あ……」
 経義の言葉に慶子は涙ぐんでいる。私は床に落ちていたジャケットを拾い、慶子に手渡した。そして、ようやく事態を飲み込んだ。
 私は経義の腕をねじり上げ、客車の外に連れ出した。ジャケットと旅行鞄を持った慶子が私の後に従った。その間もシャッター音は鳴り止まない。県知事の長兄は頬を引きつらせ、私たちを黙って見送るしかないのだ。

 ホームに出た私はふたりを引き渡すべく駅員を呼び止めた。ただし、駅員に告げた報告は車中で見聞きしたこととは別な内容だった。
「こちらの男性、ご気分が悪いそうです。救護室にお連れしてください」
 私はつかんでいた経義の腕を離して、片方の手で背中を押した。そして、駅員にとも、経義にともとれる口調でねぎらいの言葉をかけたのだ。
「くれぐれも、優しくしてあげてくださいね」
 経義は駅員に支えられながら歩いて行った。私は何食わぬ顔で列車に戻ろうとした。そんな私を慶子が呼び止めた。
「車掌さん。次の東北行きは何時ですか」
 私が時間を告げると、慶子はにっこり笑った。
「私たち、その電車で東北に行きます」

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