小説

『3番ホームで』宮本ともこ(歌舞伎『勧進帳』)

 驚いた私はゴールを狙うサッカー選手がディフェンダーを避ける仕草で男たちをかわし、慶子の目の前に駆け寄った。
 荒い息遣いが、ストライプのシャツを上下させている。慶子は横目でチラリと私を見た。冷静な顔つきに反して、シャツのボタンは弾け飛び、中味が見えている。豊かな胸の谷間を這う下着の縁についたレースの色はネイビーブルーだった。
 慶子は人差し指を伸ばした。
「この人、痴漢です」
「えっ!」
 私は激しく動揺した。慶子の指が、経義を差していたからだ。
「私には状況が把握できないのですが」
「ご覧の通りです」慶子は左右の手でシャツをつかんで、私に示した。
 経義がボタンの飛ぶほどの勢いで、慶子のシャツをはだけさせたというのか。
 いったい、なんのために?
 大学生のグループは総立ちになって、私と慶子に注目した。慶子は苛立ち、尚も、叫んだ。
「捕まえて! 早く、捕まえてください」
「ええっ!」
「ほら、電車が出ちゃう」
 大学生が写メを撮り始める。カシャッ、カシャッという人工のシャッター音を何度も聞くうち、まるで自分がやったような気分になった。
 カシャッ、カシャッ。興奮で頭に血がのぼって動けなくなった私は、妄想し始めた。経義が慶子のシャツの合わせに両手をかけて左右に開く。観音開きの扉が開くように、隠れていた物が見える。ネイビーブルーのレースの波を潜った先にあるのは、白い肌と葡萄の粒ではなく、プールに良く似た慶子の子宮の中だった。

 県知事の長兄の咳払いで、私は我に返った。
「経義」長兄は声を潜め、経義の名を呼んだ。
「本当に、お前がやったのか」
「だって、兄さん」
「シーッ。私を親しげに呼ぶんじゃない。写真を撮られているんだぞ」
 カシャッ、カシャッ。大学生たちの写メは鳴り止まない。

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