小説

『灰かぶりのC』猪口礼人(『シンデレラ』)

 美醜などの真の区別がつくほどに高尚な人間に育った覚えはないが、祖母のこのウェディングリングだけは別物だった。私個人の思い入れによるものかとも思ったが、おそらくこれは本能的な直感だ。輝きが別物なのだ。日本語の長文に英語の一文が紛れこんでいたらすぐにわかるだろう。そういう類いの直感。ただ、宝石細工工だった祖父が若い頃に拵えて祖母に贈ったものだから、さして高額ではないと家族は伝え聞いているらしい。
 担当してくれるらしい女性が出てきた。昔馴染みから紹介を受けて通訳を雇ったから言葉の面での心配はいらない。「スイスは四つの言葉を使いますからね。ほら、国旗が十字架でなんとなく四区間に区切られていることからも分かりますでしょう? 翻訳にも苦労する国でしてね。残念ながら通常の四倍の価格を戴く規定なのです」という言葉は一瞬本気にしかけたが、気さくないい人だ。担当者はイタリア系の訛りが残っているようだが、最初の挨拶だけは通訳なしに一応聞き取れた。
 説明や値段自体はウェブサイトで予習したものと大差なかった。前例のない新規事業だからか、活力や真摯さを感じさせる良い担当者だった。
 契約内容もまとまりかけた折、祖母のリングを手にとった担当者は驚きと好奇心がまぜこぜになった表情でいくつか質問を浴びせてきた。アジアの小国の宝石細工工が妻に贈った結婚指輪でしかないと教えたのだが、私が契約書にサインなどをしている間も矯めつ眇めつ観察を続けていた。

 
「いかがでしたか」
 帰国して墓前で手を合わせていると不意に声をかけられた。遺灰をダイヤモンド加工する会社の情報を教えてもらった方で、祖父の友人のお孫さんだ。彼自身は宝石細工工ではなく貴金属の店に勤めていると以前聞いた。
「ご連絡も差し上げずにすいません。おかげさまで、無事作っていただけました」
 急ぐあまり連絡を忘れていたことを思い出す。
「ああ、気にしないでください。お母様からうちの母づてにご連絡いただきました。それでちょうど向かわれたと知って、営業まわりついでに寄りました」
「そうでしたか」
「そちらが出来上がった指輪ですか」
 彼は香炉を指差す。本来お線香などを寝かせておくためのくぼみなのだが、祖父母に捧げるためにとりあえずそこに二つの指輪を置いたのだ。綺麗に作ってもらったのだが、灰などが付着してしまっている。

1 2 3 4 5 6