小説

『はるかなるブレーメン』志水孝敏(『ブレーメンの音楽隊』)

「じゃあ、春になったらすぐに旅立てるように、家の中でも出来る仕事をしたりして、食料や路銀の準備をしておこうじゃないか」
「そうだね」
 みんなそれには賛成したのだが、数日たっても、いっこうにそのための作業に手を付けようとしない。
 ニワトリはいら立ち、なんども急かした。しかし、彼らの熱意に欠ける態度はいっこうに変わらない。
「いつかブレーメンに行こうね」
「そうだ。ブレーメンに行けば、音楽をやって大成功さ」
 そんなことをぼんやりと語り合うだけだ。
「なんてことだ。あの連中は、本気でブレーメンを目指す気なんてないんだ」
 ニワトリは悟った。
「奴らは、もうのんびり暮らせればいいと思ってる。でも、それだけじゃあんまり味気ないから、夢物語で自分たちを慰めてるだけなんだ……」
 ニワトリは一人で準備を始めた。
 近くの街の酒場で歌い、小銭をためはじめたのだ。
 ところが、そんなニワトリに、近付いてきた美人のメンドリがいた。二匹は見る間にいい仲になって、子どもができ、けっきょく家庭をもった。
 ……今では、他の動物たちとともにニワトリ夫妻も小屋に暮らし、何匹もヒヨコを育てている。子育ては忙しく、音楽活動など夢のまた夢だ。生活に刺激はないが、それなりに充実しており、労働とたまの気晴らしで年月は過ぎてゆく。
 そうしていつのまにか、ニワトリも言うようになった。
「いつかブレーメンに行ったら、大スターになるんだ」と。
 そう語る彼の顔は、じつに幸福そうであった。

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