小説

『コンの銀杏』鴨カモメ(『ごんぎつね』)

「パァァン」

 兵十がその乾いた音で我に返ると、銀杏の木の下に先ほどまで見えていた影はない。兵十は銃を置き、木の下へと駆け寄った。するとそこには小さな狐が倒れていた。狐の傍らには、イガのついた栗の枝が落ちている。
「おまえ……」
 兵十が呼びかけると、狐は倒れたまま兵十を見た。瞳孔の小さなその黄色い瞳が金色に輝く。兵十にはその輝きに見覚えがあった。
「紺なのか?」
 兵十は自分の口から勝手に出た言葉に驚いた。そして狐がその瞳を嬉しそうに潤ませているのを見ると、その弱った身体を抱き上げずにはいられなかった。姿は違えども惚れた女を間違うはずもない。兵十は触れた瞬間にその狐が『紺』であることを確信した。
「お前、何でこんなことを」
「オイラのせいでひとりになっちまった兵十を幸せにしたかったんだ」
 もう二度と聞くことは叶わないと思っていたその声を聞くと、兵十の目から涙がこぼれ落ちた。
「おっ母はもう病で先が長くなかったんだ。お前のせいじゃない」
 兵十にはコンの身体から少しずつ力が抜けていくのが分かった。
「あぁ、俺はなんてことをしちまったんだ」
 その時、空から1枚の銀杏の葉がコンに引き寄せられるように降って来た。それはコンの瞳と同じ金色に光っている。そしてコンに葉が触れたかと思うとコンは人間の姿になった。
 コンはその白く細い指で兵十の涙をぬぐう。そして少し寂しそうな顔をした。
「人間が狐の命を奪うのは普通のことだよ、兵十」
 そう言うと温かい兵十の腕の中で、コンは静かに瞳を閉じたのだった。

「おい! 兵十、駕籠かきの踏んだ栗のイガだがな。どうやら狐のせいじゃないらしいぞ。また女を囲うと知った中山様の奥方様が、行く手を阻むために従者に撒かせたそうだ。まぁ、奥方様もまさか崖に落ちるとは思わなかったみたいで、詫び賃として小判は返さなくていいそうだぞ! 狐もとんだ濡れ衣だったが、崖で何をしていたんだかな」
 兵十の元にやってくるなり、加助は仕入れた情報を息つぎもせずに話す。兵十は黙り込んだまま井戸で水を汲んでいた。
「兵十! お紺は残念だったが、女はいっぱいいる。なんなら俺がいい女を紹介してやるよ」

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