小説

『待ってる』柿沼雅美(『待つ』)

 奈子はぼんやり、誰かひとり、声をかけてくれるのを想像する。あ、こわい。困る。胸がどきどきする。息がつまる。でも、やっぱり誰かを待っている。いったいいつもここに座って、誰を待っているのだろう、と思う。どんな人を? いや、人間でないかもしれない、猫? 鳩? ほんとに誰かが来て、今日は寒いね、そうですね、なんていい加減な挨拶をしたとしたら、自分ほどの嘘つきが世界中にいないような苦しい気持ちになって死にたくなる。そんなことしたら、相手の人もいよいよ自分を警戒して、当たりさわりないかわいいねとかまだまだこれからだよなんてお世辞を述べる。世の中の人たちというのは、お互い強ばった挨拶を繰り返して、疲れて、大人になってたくさんの人のようになるものなのかな、と思う。
 家にいたところで、外にでたところで、学校にいたところで、自分には行くところがどこにもないような気がした。誰か目の前に、ひょいと現れたら、なんて期待と、あ、こわい、という恐怖と、さらわれる戸惑いとさらわれたいような空想と、なんとなく諦めに似た覚悟と、さまざまな感情が異様に絡み合って、胸がいっぱいになって窒息しそうになる。
 白昼の夢を見ているような頼りない気持ちになって、人の往来の有様も、望遠鏡を逆に覗いたみたいに、小さく遠く思われて、世界がシンとなってしまう。
 自分は何を待っているのだろう。誰かひとり、声をかけてくる。あ、こわい。あなたではない、じゃあ恋人、ちがう、じゃあお友達、それもちがう、じゃあお金、まさか、じゃあ幽霊、あ、こわい。
 カバンの中でスマホがブーンとした。自分のものではなくお母さんのほうだった。おばあちゃんはよく仕組みが分からないし、お父さんも色々面倒なのか忙しいかみたいで、奈子が預かったままにしているものだった。
 ラインのポップアップが出て、タップすると、お母さんが塾で働いていた頃の生徒さんからだった。生徒さんと言っても、10年以上前のはずだから、今は30歳くらいなのかもしれない。
 るりえん、というユーザー名の隣、クマのキャラクターがかわいい顔をしてこっちを伺っているスタンプだけ届いていた。お母さんが死んでしまう3日前に最後のラインをしていたのがるりえんさんだった。お母さんはるりえんさんに、病気のこと、病気の原因が結婚生活の我慢と思っていること、でも奈子に出逢うためだったんだと思ってること、絶対に治ると信じてること、いろんなことを送っていた。先月もスタンプだけ届いていて、すぐにスタンプだけで返信した。きっとるりえんさんはお母さんがまだ生きているんだと思っているんだろう。るりえんさんは、お母さんが何か言ってくれるのをいつまでも待っているのかもしれない気がした。
 目の前をぞろぞろ人が通っていく。みんな何かを待っているのかもしれないと思った。夕方からやっと会える恋人、逃げてしまった猫、濃いカレー、大きな仕事、生まれてくる赤ちゃん、新商品のマニュキュア、新しい大学、初めての就職、予想もしていない何か。

1 2 3 4 5