小説

『待ってる』柿沼雅美(『待つ』)

 お母さんにガンが見つかり、手術をしたときに、新たに切らなければならない箇所が見つかり、それを告げに来たお医者さんに、お母さんの弟さんとおばあちゃんは、どういうことですか、そうすることで体にどんな影響があるんですか、とありとあらゆる思いつくことを聞きまくっていた。その中で、お父さんだけは、すぐに、あ、なら切っちゃってください切っちゃってください、と言ったのだった。お母さんの弟さんは、一瞬時間が止まったようにお父さんを見て、そのあと奈子を見た。奈子はなんとなく自分が悪い事を言ってしまったような気分になって、目を伏せた。スニーカーのひもが緩んでいて、床は学校の廊下みたいに変にペカペカ光沢していた。頭の中には、ダウンロードしたばかりの和製ノラジョーンズと紹介されていた女の子の歌が流れていた。
 奈子は、席に座りながら、窓からふいてくる風がまだちょっと肌寒いかな、とか、一番前の席の恵理ちゃんは少しだけ髪を切ったんだなとか、斜め前の彩美ちゃんは机の下でスマホゲームしてるなとか、そんなことを考えていた。
 授業が始まっても、教室を移動しても、お父さんの作ったダサいお弁当を食べてたら美優ちゃんが綺麗な卵焼きをくれたりとか、誰が書いたか分からないけど誰にまわしたらいいかだけは分かるハート型に折り畳まれた手紙を先生の目を盗んでリレーしたりとか、急に生理になっちゃった亜美ちゃんに持っていたナプキンをあげたりとか、掃除の時間に箒をスタンドマイクみたいにしてアイドルの振り付けをしながら歌う早紀ちゃんや朱里ちゃんを見て手を叩いたりとか、写真部で真美ちゃんの買った新しいミラーレスを借りて窓の外を撮らせてもらったりした。
 帰り道には先生は立っていなくて、コンビニで期間限定のソフトクリームを買ったり、カラオケ行こうよって盛り上がってる先輩たちの横で信号が変わるのを待って、部活のみんなでゆっくり駅に向かった。
 滑り込んできた電車にみんなで一斉に走りだして乗り込もうとする。奈子はわざと改札で定期を探すふりをして遅れ、先行ってーまた明日ー! と大きく声をかけた。みんなは、はぁー? とか、えー? とか言いながら電車に乗ってしまった。閉まったドアの透明の向こうで手を振ってくれる。明子ちゃんはドアに顔をくっつけて変顔をして、その顔がスローに遠くなっていった。奈子は、電車の最後尾が見えるまで手をあげて振った。
 ホームのベンチに座ると、電車が到着するごとに、たくさんの人が戸口から吐き出されどやどややって来て、一様に怒っているような顔をして、そそくさと脇目もふらずに歩いて、奈子の座っているベンチの前を通り過ぎて、思い思いの方向に散って行く。

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