小説

『霧の日』化野生姜(『むじな』)

俺は分かっていた。これは幻想だと。
人間が一生を終えて行く課程の走馬灯という名の幻想だということを…。

俺は手を伸ばした。
あのときのままで…顔も分からぬ母に捨てられたあの日のままで。
俺は洞の中で力の限り泣き叫んでいた。
産着に包まれた状態で、赤子の声で泣き叫んでいた。
母を呼び止めるために、泣き叫んでいた。

すると、うつむいていた母がこちらを向いた。
それを見て、俺はふいに泣き止んだ。
そうして、女は言った。

「それは、こんな顔だったかい?」

そうして母と思っていたものが、ぐいとその頭部を穴の中に入れた。
それは、穴一杯に広がる毛が生えた一匹の獣の顔であった…。

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山中で、赤子の泣き声がするのを山菜採りの老夫婦が聞きつけた。

やがて、夫婦は獣道の中にある木の洞から生まれて間もない赤ん坊を見つけた。
赤ん坊は赤い産着にくるまれており、その産着は、どうやら古くなった着物をぬい直して仕立てたもののように思われた。

老婆が子供をあやしているあいだ、老人は洞の中にある一枚の紙切れを見つけていた。それは古ぼけた和紙であり、ところどころが虫に喰われていた。

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