小説

『雲の猫』猫野湾介(『蜘蛛の糸』)

 湧き上がる衝動が、おなかのなかでぐんぐん膨らむ。
 インヘイル、エクスヘイル、インヘイル。
「喜捨セミナーは宗教でも片付けレッスンでも自己啓発セミナーでもないんですよ。心のあり方をシェアしているだけなの。わたしは余計なものをそぎ落として、あなた自身が本当の自分を取り戻すために、ヒントをだしているだけですよ」
 釈かの子の言葉を諳んじていた。「執着してはいけない」のだから、言葉を覚えているのもよくないのだろうか。
 都バスが近づいてきた。

***

 回が進むにつれ、喜捨セミナーの参加者は減っていた。
「本当にかわいそうな方たち。どうしても愛着が捨てられなかったみたいですね。たかがモノで自分を定義するとは、なんて悲しい人生でしょう」
 釈かの子のふっくらとした顔が憂いに曇る。縦横たっぷりした体は、会うたびに大きくなっていく。
 スマホ女も全裸女もとっくに脱落していた。原因は他ならぬスマホだったと、わたしは勝ち誇りながら思い起こす。
「スマホだけであとは何もいらない」とスマホ女は言い、金髪の全裸女は超然と片手にスマホをもっていたが、あまりにも有り体なことに、そこに何もかもが詰まっていた。財布やパスのかわりどころか、人とかかわる、よすがさえも。「スマホを喜捨する」という回で、何人の受講生が脱落したことだろう。
 その点、わたしはなんのためらいもなかった。着信音が一度も鳴らない、来るのはジャンクメールだけ、そんな代物を喜捨せずにいたのは、意識するほどの価値もなかったからだ。

***

 わたしは勝ち抜いている。どんどん削ぎ落とされてシンプルになっている。本当の自分に近づいているのだ。
 喜捨セミナーの参加者は数名を残すだけとなった。かの子との距離が縮まったようで、とても嬉しい。
 それなのに今日は、落ち着かない。
「インヘイル、エクスヘイル。自分の呼吸に耳を澄ましてください」
 釈かの子の声に促され、心を鎮めようと呼吸を繰り返してみたが、うまくいかない。どこかうきうきした調子で、かの子が付け足す。

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