小説

『かんからり』太郎吉野(『雪女』)

 黒いゴミ袋に入れた自分の持ち物すべてを、背もたれをハンドル側に倒した運転席の足元に突っ込んで、リクライニングした助手席をベッドに仕立てたこの車にねぐらを定め、もう数か月になるが、冬になるとしみじみと、車の気密性と柔らかいモケットのクッションがありがたい。

 「お~いお隣さん、おれは今日は気分がいいよ。」
 心地よい酔いをひきずったまま、リクライニングシートに膝を抱いて丸まった青吉が、いつものように「隣人」に話しかける。
 「今日はさ、金が入ってさ、福袋の行列のバイトで4500円稼いでさ、つい嬉しくて飲んじまったよ。久しぶりに店で飲んだよ。熱燗でドテ焼きなんぞも食っちまったよ。1500円ほど使っちまったけどさ、正月だからさ、たまにはいいよな?あ、まだ言ってなかったっけな。明けまして、おめでとさんよ、お隣さん。」

 今日は気分がいいから年賀の祝辞なども機嫌よく口にしているが、たいていいつもは愚痴やらかつての失敗への後悔やら、昔、工場で働いているとき、青吉を目の敵に怒鳴っていた主任の悪口やら、昔暮らした女のことやら、今はどこかで中学生になってるはずの、その女の息子のことやら、それから世間への怨嗟やら……を、寝る前にひとしきり、隣人に向かって語りかけるのは、もはや習慣になっていた。
 語りかけても一向に、その隣人は言葉を返してくれることはなかったが、それでも、喋る相手が確かにそこにいる、というだけでも、青吉にはなにがしかの張りあいにはなっていて、当初は疎ましかった隣人の存在も、こうなってみると「悪くもないな」と思えてくるのである。

 なにかが臭う……と気づいたのは、車に寝泊りして数日後のことだった。
 臭いのもとをたどって車のトランクをこじ開けてみると、そこにあったのは、すでにかなり腐乱の進んだ女の死体だった。
 すぐにトランクを閉めて、それから二度と開けることはなかったから、青吉にはその顔を仔細に検分することは叶わなかったのだけど、たとえまじまじと見てみても、崩れ爛れたその顔からは、生前の容姿をうかがうことはできなかったろうけど、それが女であることは、長い髪と、着ていた赤いブラウスと白いスカートとで、一瞬のうちに判別できた。

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